TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#3】「抽象」と「持っていても触れない」こと。

執筆:織咲誠

2025年11月28日

 みなさんは日々の情報にワクワクしていますか? それとも情報疲れ、オーバーフロー、流されるまま、追っかけるのに精いっぱい……何となくストレスを感じていたり。はたまた、自分の眼でみるものしか信じない「情報遮断」という思い切り振った決断も、かなり前から聞こえていました。

 実際のところ、情報を「血肉や資産にできている人」ってどれくらいるのでしょうか。思うに、一つの解決策としてオススメなのが、「抽象化」です。抽象と聞いて、なんとなくの意味しか浮かばない人は検索してみてください! おそらく、95%の人が勘違いしているかもしれません。

 結論から言うと、浸透しているイメージとは真逆なのです! 本意をここでは触れませんが、日本の日常のことばや風土の中に抽象を"ネガティブ”にとらえてしまって勘違いしている残念な空気があります。「具体的に言って!」の圧に屈してしまってね、「わかりやすさ」を求める風潮の弱点ですね。このことは日本にイノベーションが生まれにくい原因のひとつだと個人的に思っています。

「抽象」を用いると、情報の統合、圧縮をすることができます。十や百や万……日本、世界……と、ひろがっても共通項を見つけて本質に気付けば、ひとつに収斂(しゅうれん)させることができるのがソレです。「情報の消化不良」で体調不良をおこしている方は、ぜひ! 抽象の扉を開いてみてはいかがでしょうか。

抽象がわかりやすく学べる動画。

重く大きな本には膨大な情報量があり、触れているといつの間にか「情報の咀嚼体力」が自然とついてきます。「編集」という抽象化により密度がもたされます。創造の鉱脈なのです、ファーブルの本はね……。

「情報の並置・積層」の利:アーティスト独自の関連性で並べられた図版からは「類推」をジャンプする思考の仕掛けがあり、新しい世界、新たな関係性を発見できるところが好みでよく開く本。
Batia Suter – Parallel Encyclopedia #1/#2
サイズ: 290× 220mm、厚み:44mm

 私の情報の接し方で、他者とは大きく違うだろうと思うことに「みない、たやすく触れない」「機を待つ」があります。本を買って側に置いておきながら、開かない、最小限しか閲覧しません。自分のレベルがそれらと最高に美味しく対話したり、理解できる(必用になる)時まで、じっと我慢して。物事には最良な出会いのタイミングがありますからね。最上のものは特に注意してます。未熟なうちに凄いものに気軽に手をつけちゃうと「感動」や「体験」を勿体ないことにしてしまうかもしれない……"はじめて出会うときの感覚“は初回だけなので大切にしたく、だからこそ”出逢いの取り置き”をしたくなるものも極稀にあるのです。

造形力の斬新さと、力強さに、現代の自分の存在に疑問を持ってしまい、全身火傷を負う感じがして、ぱっと一瞬みては、直ぐに閉じてしまう。年に一回はみますが、約25年間で合計10分はみていないと思う(テキストはじっくり読みます)。削った木っ端から更に小さな仏を彫る作風は、エコ時代の先取とも言える。

2016年に購入してから包みを切っていませんでしたが、私の展示「hug-Box♡」にて「箱」のプロジェクトを今から展開する、まさに必用なタイミングが到来したので、このコラムのためにも開封しました。出発点から至高の「美学」があったことが納得の学びどころ。

「展覧会カタログ」は、その世界をひろく一堂に見渡せる乗り物としてよい。何度も眺めて熟読の書。
「ダンボール花器」の習作をしているのですが、展望としてこのあたりの品と並ぶことを夢見て「優美」のマインドセットを繰り返している。

 私は他者から「どうしたらそのような発想がうかぶのですか?」と聞かれることがよくあります。

 それには「”うかぶ“ではなく、"ふるいにかける”のです」と回答してきました。つまるところ、ふるいにかけるための発想ツールを自作してきたからです。たくさんの情報や知識を集めて、ふるいにかけ、精練し、ひとかけのシンプルな「結晶アイデア」にまで蒸留する感じです。ポイントはインプットを「沢山=大量」にあります。さらに私の場合は全方位で自由な発想法ではなく、環境対応やSDGsなどにつながる個人を超えたものが自然と導かれる「ふるい」です。

 仕掛けは「より少ないものによる、より多く」という”しばり“を設けています。最少で最大。物質の使用をより少なく、コストを増やさずに、より高機能や問題解決を求め、物とコトの「つながりの関係を線引きし直す」思索と実践の取組みです。

Line Works–線の引き方次第で、世界が変わる

 この考え方と同じような取組みをされているプロジェクトは、世の中に実は沢山あります。私はそれら他者の仕事から学び、物事に潜む共通点や原理・原則を「抽象化」して抽出し、叡知の結晶化を目指し、結果的に誰もが各方面で「応用できる」ように辞書化することを目指しています。一つのリサーチプロジェクトですね。智慧の「共有」と触発によって、世界がもっと上手く機能するように、みんなのアクションを誘う取り組みです。

数千の事例から「原理・原則」を引き出し「公理」としてまとめ、数がぐっと減って「吸収率」と応用・汎用性が上がる。つくる悩みがある時、この壁の前に立つと自然とヒントやアイデアが降りてくる確率が上がる。──赤白に塗られた「地雷標石」──は、NGO AAR Japanさんのご尽力によりアフリカ・スーダンから移送された本物。なお、「Research of Line_Works」は教育プログラムとしての成果の一部。協働:名古屋芸術大学美術学部・デザイン学部(大学院)2006年、多摩美術大学 生産デザイン学科 2014年。「活動のデザイン」展 2014年 21_21 DESIGN SIGHTより

© Makoto Orisaki × NUA 2006 … Makoto Orisaki × TAU 21_21 2014

 これらの作業は割りと時間が掛かります。複数の人間がいれば早く事例が集まり抽象作業に入れますが、コラム#2で語った「生活の中に」徐々に堆積させて抽出した方がよい結晶になるから。正直、自分の発想法のことは自分であまり意識していない……そこで、以前の展覧会の際に原研哉さんにいただいた言葉が的を射ていて、自らの癖を知ることになりました。

「つながりの思索」へ  ──── 原 研哉

織咲誠の歩みは大変ゆっくり慎重である。石橋を叩いて渡るというが、橋ですらない地面の上を一歩一歩測量しながら進むような念の入れ方である。思いつく限りの遠い距離や多様な角度から、足の踏み場をながめ検証し、大きな普遍に触れていると確信できる所にだけ脚をおろす。だから端から見ると動いているのか止まっているのか分からない。しかしながら織咲誠は確かに歩いている。ふと気付くとそこそこの距離を移動している。そのようにして歩いてきた軌跡が織咲誠のデザインである。そしてその軌跡が美しい。

海面によって切り取られた地表が海岸線という美しい境界線を生み出すように、レーシングサーキットのラインが加速と減速の力学を内在させているように、ピアノ線で描く曲線が独特の張りを生み出すように、織咲誠の仕事は何かの力学をはらんでつながっている。
「つながりの思索」とも言うべきその軌跡を、この展覧会ではじっくりとご覧いただきたい。

第626回デザインギャラリー1953「織咲誠のInter_works」展 (2006年 銀座松屋)

 もう少し気楽に、スピードを上げてよいのでは、もっと作品を見せて欲しい……と、はっぱをかけてくださっている意にもとれますが、歩みは遅くなるばかり。ここは「他者の力」を借りて速度を上げる必用の機が来ていると察する今日この頃です。ちなみに最新作の「進化な箱 hug-Box♡」は「Line Works」の集大成、到達点との声が多いので、どこかでぜひ見てくれたら嬉しいです!

 次回は最終回。謎の「ダンボール社会学者」についてのお話です。

プロフィール

織咲誠

おりさき・まこと|インターデザインアーティスト/ダンボール社会学者。ダンボールを自由自在に加工する道具「or-ita(オリタ)」を作った開発者であり、「線の引き方次第で、世界が変わる」という“結びつきの関係”のリサーチと実践を行う。手掛けた商品の数々が世界で特許登録され、「自然力を取り込む知恵」「物質量やコストにたよらない」利を得るクリエイティブ『理り派』(ことわりは)を提唱する。2021年、アートの領域に軸足を戻し、「統合クリエイティブ」をテーマに活動中。近年は個展「hug-Box♡」をはじめ、アートとデザイン双方の根原にあるはずの共通や統合の美を求めて、ものごとの「間」を探る長旅を続けている。