TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#3】下界の薔薇

執筆:大竹笙子

2025年5月25日

真夜中になっても続く近所のカラオケ屋からの音漏れや、酔っ払いの笑い声叫び声が、毎年盆暮の始まりを告げる。
近所の郷土料理屋の外にできる行列もその合図のひとつだ。
あるお盆の時期、その料理屋で洗い物をしているフィリピン人が夏休みに一時帰国するため、洗い物のアルバイトをしたことがある。
一緒に洗い物を担当したタミコさんは、たくさん話かけてくれる活発なお婆さんだった。当時すでに私の祖父は亡くなっていたが、かつて祖父とも知り合いだったようで、あそこのお孫さんか〜!と驚きながらも可愛がってくれた。
ある日、祖父母が亡くなった後も未だに家の前で立派に咲き続ける薔薇を、接木にしたいから少し分けてほしいとタミコさんに頼まれ、私はどうぞどうぞと快諾した。

近所には、祖父が行きつけにしていたスナックもある。幼い頃から私もよく連れて行かれ、帰省する度にママに会いに家族でスナックを訪れた。
アルバイトでタミコさんというお婆さんと一緒に洗い物をしているとママに話すと、ママもかつてタミコさんと一緒に働いていたことがあると話し始めた。
「このお店の前に働きよったところにタミコもおったんよ。当時私がまだ入りたてで若かったけん、年上のタミコによう意地悪されよった。ちょっとでもいけんことしたらつねられよったけん、”つねりのタミコ”って呼びよったんよ!」
ママの口調からタミコを恨み嫌っている印象は見受けられず、むしろ懐かしい思い出話のようだったが、想像とは真逆の方向へと展開する話に、驚きすぎて笑いが止まらなかった。
自分にとっては、綺麗な薔薇に感動し自分の家でも咲かせたいと願う純なタミコ婆さんが、かつて”つねりのタミコ”として幅を利かせていたというパラレルワールド。
当時を懐古し楽しそうに話すママの口調から、”つねり技”というシンプルで直球な意地悪すら潔く、可愛げがあるようにすら思えてきて、皆でお酒のつまみとして笑い話に昇華した。
当時、突発的に始めた短いアルバイトだったが、このエピソードをママから聞けただけでもあそこでアルバイトをしてよかったな、と今でも思う。

去年の夏、ママは亡くなり、スナックもあっけなくこの世から消えた。
あの世に行ったママは天国でスナック冥土支店をオープン、休む間もなくママ復帰。祖父たちが、遅かったのぉ〜!と歓喜歓待、宴会続きの盆暮も関係ないはずだが、下界にまでその音が漏れ聞こえてはこない。

祖父母がいなくなっても、ママがいなくなっても、今年も薔薇は淡々と美しい。

プロフィール

大竹笙子

おおたけ・しょうこ|1993年生まれ。2017年ロンドン芸術大学テキスタイル学科卒業。
日常で目にした情景を版画に落とし込み、版を反復したり様々な素材を用いて唯一性のある版画を制作。

近年では、展示の他に本の表紙や挿画、テキスタイル、レコードジャケットなど幅広いジャンルを通して作品を発表している。

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