カルチャー
アメリカ文学を研究する青木耕平さんによる『物語ることの反撃──パレスチナ・ガザ作品集』のレビュー。
クリティカルヒット・パレード
2025年1月18日
illustration: Nanook
text: Kohei Aoki
edit: Keisuke Kagiwada
アメリカ文学を研究する青木耕平さんが新しい小説をレビューする「クリティカルヒット・パレード」。今回取り上げられるのは、『物語ることの反撃──パレスチナ・ガザ作品集』だ。
本書『物語ることの反撃──パレスチナ・ガザ作品集』の原書タイトルはGaza Writes Back:Short Stories from Young Writers in Gaza, Palestine であり、直訳するならば『ガザは書き返す:パレスチナ、ガザ地区の若い書き手たちによる短編集』となる。
書き返す、という表現は、すでにして何かが書かれており、ガザを含めた世界がそれを読んでいる、ということを前提としている。この文脈において、すでに書かれて流布しているもの、それはイスラエルによる「シオニズム」のナラティヴに他ならない。「シオニズム」の語りとは、選民思想を擁護し、異教徒を追放し他者を抑圧することを免罪し、ガザ地区を占領してパレスチナ人を虐殺することを正当化する、大きな物語である。
そんなシオニズムのナラティブに、欧米諸国は20世紀後半以降ずっと耳を傾け、全面的に支持してきた。21世紀以降、その語りが最も流通している国はアメリカ合衆国である。本書が英語で書かれ、アメリカの出版社によって刊行されているのは、アメリカとイスラエルが結託するグローバル市場を逆手にとってその回路を利用し、この小さな物語群を世界中に広めるために他ならない。つまり、この「ガザからの返信」の宛先には、このグローバル経済のルールの中で生きる全ての人々、つまり日本で暮らす私たちも含まれている。
シオニズムにカウンターを喰らわせるナラティヴを産み出そうとする本プロジェクトを立ち上げたのはリフアト・アルアライール、ガザ出身の詩人にしてガザ・イスラーム大学で英文学と文芸創作を教える教師でもあった。書き手の多くは彼の呼びかけに答えた学生たちである。序文の中でアルアライールは「ガザは書くことで反撃する」というフレーズを何度も何度も繰り返す。ではなぜフィクションという形が必要とされたのか? 「天井のない牢獄」と称されるガザの日常をノンフィクションで書いた方が目的に適うのではないか? アルアライールはノンフィクションではなく小説という形式を選んだ理由をこう語る──「フィクションは普遍的である。フィクションは宗教やイデオロギーや国家など全ての境界を越えることができる」。
そのようにして、ガザとパレスチナに出自や繋がりを持つ若い書き手たちの野心ある短編小説が多数収められた『物語ることの反撃』が刊行された。冒頭に付されたアルアライールによる「編者による序文」の日付は、「2013年11月」となっている。
明石書店より昨年末に邦訳刊行された『ガザの光』という書籍に、アルアライールによる「ガザは問う」という文章が収録されているが、その中で彼は『物語ることの反撃』刊行の意義を誇らしげに語りつつもこう述べている──「私は『ガザ・ライツ・バック』がきっと変化をもたらすと信じていた。この本は世論を動かす一助になるかもしれない。……しかし、物語や詩が占領者の心を変えることができるだろうか。一冊の本が変化をもたらすことは出来るだろうか。……そうはならなそうだった。その数ヶ月後、2014年7月に、イスラエルは数十年来で最も野蛮なテロと破壊の作戦を開始し、51日間で2400人以上のパレスチナ人を殺害し、2万軒以上の住宅を破壊した」。
この小さなフィクションの群れは大きな物語の前に無力だったのか? 決してそうではない。この本とその波及力をイスラエルは無視することができなかった。それがゆえにイスラエルはこう決めた、この先導者を消してしまおう──。本邦訳書『物語ることの反撃』は、2013年刊行版ではなく、2024年末に新たに刊行された「メモリアル・エディション」を底本としている。つまり、イスラエルによるガザ虐殺の開始後にあらためて刊行された新版だ。そして、この2024年版に限って言うのならば、本書の肝は若い書き手たちのフィクションにはもはやない。2024年刊行の本書が私たち読者を呆然とさせるのは、プロジェクトを立ち上げて若い書き手を鼓舞し未来への希望を語ったアルアライール当人が2023年にイスラエルに爆殺され、もうこの地上で息をしていない、という事実である。
ここ日本においてアルアライールの名が広く知られるようになったのは、彼がイスラエルに暗殺される直前、まるで遺言のようにSNSにアップした「もし私が死なねばならぬとしたら(If I must Die)」の詩がきっかけであろう。この詩とアルアライールの死は日本全国の新聞で報道され、NHKも特集番組を放送したので、読んだ読者も多いかもしれない。
あなたがもし彼の詩に感銘を受けたのであれば、ぜひ本書を手に取りアルアライールの序文だけでも読んでほしい。パッションに溢れ、未来への希望を語り、パレスチナへの愛とヒューマニズムへの信頼を力強く美しくそして虚飾のないストレートな言葉で綴った、超一級の文章である。アルアライールの詩と言葉は人々の心を動かす。そんなアルアライールを──いや、それがゆえに──イスラエルは殺した。この事実が私たちを戦慄させ、現在ガザで行われている虐殺の非道さに足がすくむ。
短編小説を寄稿した若き書き手たちのうち数名もまた、現在に至るまで生死の確認ができていない。この新版において、外国で暮らすなどしてイスラエルの虐殺以降も生き延びている書き手たちが新たに書き足したアルアライールへの追悼文は、彼らのフィクション以上に鋭く読み手に突き刺さる。アルアライールは真に優れた教師であり、学生に信頼された指導者であり、広く尊敬され愛された人間であった。彼らは心の底からアルアライールを尊敬してやまなかった。彼の教え子たちは幸運だったろう。
(本稿執筆者は大学で英語圏文学を教える者の端くれ、つまり非常に広い意味でアルアライールの同業者である。ゆえにこの学生たちの嘆きと悲しみと敬意に溢れた文章を読んでアルアライールの偉大さに圧倒され己の小ささを思い知らされた。本書のフィクション集としての価値は、他のレビューを待ちたい)
本邦訳書の刊行は2024年12月3日であるが、英語圏の刊行はアルアライール一周忌の12月6日まで待たれた。この日、新版刊行とアルアライール一周忌を記念してオンライン講演が催された(youtubeで全編無料視聴可)。そこで寄稿者の一人でありアルアライールの直接の教え子であるサーラ・アリーが、アルアライールは「死んだ」のではなく「倍に増える」のだ、と強調して語っていた。本稿執筆者はキリスト教の信仰を持つ者であるが、この言葉を聞いた時、「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」と言う新約聖書「ヨハネの福音書」の一節を思い出した。ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』そして三浦綾子『塩狩峠』という時代を越える文学作品のエピグラフに掲げられているこのキリストの言葉に現在最も相応しい文学者はアルアライールだろう。
イスラエルはアルアライールの身体を刈り取ることに成功した。しかし、彼が蒔いた種を根絶やしにすることは決して出来ない。文学は、人文学は、思想には、即効性はない。長い時間を要するだろう。しかし、彼の言葉は宗教もイデオロギーも越える。翻訳によって国境と言語はもう超えた。これから先の未来で、豊かな実を結ぶだろう。
レビュアー
青木耕平
あおき・こうへい|1984年生まれ。愛知県立大学講師。アメリカ文学研究。著書に『現代アメリカ文学ポップコーン大盛』(共著、書肆侃侃房)。
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