TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム

【#2】WOWOW、リングスとジローへ

執筆:渡辺友郎

2024年9月17日

 とにかく奥さんのサッカー熱がここ数年、煮えたぎるほど熱い。俺もサッカー好きだけど、その熱量は比じゃない。いっそのこと、ルミ子と呼びたいくらいだ(小柳ルミ子さんは度を越えたサッカーファンとして一部で有名です)。DAZNやUNEXTはもちろん、先日ついにWOWOWにも加入してしまった。UFCを放送していた時以来に加入した理由は、チャンピオンズリーグ鑑賞のためだ。

 WOWOWと言えば、真っ先に思い出すのが’90年代に放送していたリングス(FIGHTING NETWORK RINGS)。前田日明が第2次UWF解散後、ほぼ1人で旗揚げした団体は不思議な魅力に溢れていた。東ヨーロッパやロシアやオランダからやってくる、見た事も聞いた事もない、それでいて凄味と妖気はパンパンの格闘家達。カンダラッキーとかラマジ、ベキシェフとかスーセロフなんて名前に今でもピンとくるリングスファンは、バカだけど間違いなくいい奴。前田日明引退後のリングス後期は、グッと現代の総合格闘技色が強かった。後のPRIDやUFCで活躍する多くの選手を輩出したKOKトーナメントはもはや伝説だ。ノゲイラやコピュロフのグラウンドテクニックに絶句したり、オーフレイム兄の突然の覚醒にビビったりと忙しかった。

 ここまでシティボーイ的には全く不要な話ばかりで申し訳ないのですが、もしよかったらyoutubeで一番好きな動画でもある「田村潔司VSヘンゾ・グレイシーの入場シーン」(1分22秒あたりから)だけでもチェックしてみて下さい。具志堅用高の入場シーンと並んで、自分が気分を奮い立たせる時必ず見る動画で、KOKのハイライトの1つ。ぶら下がってるコメントもいちいち熱くて最高です。

 高校時代、実家はWOWOWに加入していなかったので、放送のある日は中学時代の同級生であるジロー(ホームラン級のバカで、ハードめなジョークが通じるナイスガイ)の家にお邪魔して、リビングのテレビで観戦していた。当時は「視聴するために課金する」という流れがメジャーではなかったので、取り入れていた次郎の家庭は少し意識が進んでいた家庭だったんだと思う。毎回当然のように自宅に招き入れてくれて、リングスの放送を観せてくれる、いい奴、ジロー。そんな彼が1度だけ本気で俺に怒った事があった。

 それは高校2年の大晦日でのこと。世界中で話題になっていたデイヴィッド・リンチ監督の『ツイン・ピークス』をWOWOWは全話ぶっ通しで放送していたのだけど(俺はドハマリしていたので既に視聴済み)、ジローはまだ観た事がなく、大晦日に睡眠そっちのけでがっつり観ていた。手持ち無沙汰な俺は、深夜近くになり、ジローの家に電話を掛けた。

「大晦日だし、近所の杉山神社に初詣に行こうぜ!」

「あと2話で最終回なんだよ、朝からずっと観てる。観終わるまで待ってろよ」

「あー、そこまで観たんだ。そっかそっか、わかった。あのね、犯人は親父で、ボブはクーパーに憑依すんだよ、それで最終回終了。ね、もういいだろ!今から遊びに行こうぜ!」

 キツめのジョークという認識でそう伝えたら、滅多なことでは怒らない温厚なジローがまぁ激怒しましたなぁ(当然だろ)。電話口であんなに怒られたのは、今年50歳になった今でも経験がない。そりゃそうだよな、怒るに決まってるよ。逆の立場だったら俺、もっと怒ってると思うし。何度も謝ってるけど、改めて。あの時はごめんな、ジロー。

 その後、大人になってもずっと仲良くしていたけど、特に理由もなく10年くらい連絡を取り合っていない。久しぶりに連絡してみようかな。『いくどん』で待ち合わせたら缶チューハイを買って、彼の部屋で家飲みしよう。

数年前、オフィシャルでリングスのTシャツを作る機会があった。30年前の自分に自慢したい。

プロフィール

渡辺友郎

1974年、東京生まれ。レコード会社にてビジュアル・プランナーとしてCDジャケットや物販アイテムの制作を担当後、2007年に独立してクリエイティブ・プロダクション〈Lodge ALASKA〉を設立。翌年2008年には、架空のレコードレーベルをコンセプトに、国内外のクリエイターがデザインを手掛けるTシャツブランド〈タコマフジレコード〉を始動する。犬とビールが大好物。

Official Website
https://tacomafuji.net/