私はマジックの本番中、見られている以上にマジックを見ている人をよく見ています。
なぜ驚かなかったのか
なぜ笑わなかったのか
なぜその言葉を言われたのか
「なぜ」の答えを見ている人の反応から学ぶためです。
数えきれないほどの人のリアクションを見てきましたが、今回は、一番驚かなかった人の話です。
日本からはるかウン千キロ(たぶん。よく知りませんが、とにかく遠かった)、アフリカ大陸のマラウイ共和国にマジックを見たことがない人たちがいると知り、その村を訪ねた時のことです。村人たちに最初に披露したのはマジックの中で最も古い「カップと玉」というマジックです。
3つのカップの中は空っぽだとはっきりと中を見せてから、それぞれのカップの中から生タマゴを次々と出しました。さぁどうだとドヤ顔で村人を見てみると、村人は全員、キョトンとしています。なるほど、偽物のタマゴだと思っているな、ならばとタマゴを割って見せました。……ノーリアクションです。思わず村長さんに「これがマジックです。不思議ではないですか?」と聞いてしまいました。

すると村長さんは庭にいるニワトリを指さして、
「タマゴなら毎日産まれている」
これには私の方が驚きました。
魔法=自然を理屈抜きに受け入れている村人たちにとっては、突然カップからタマゴが現れることと、地面の上に産み落とされ毎朝忽然と現れているタマゴを見つけることは、同じに見えたのでしょう。魔法とマジックの境目がないとは、うーむ。
この「なぜ驚かなかったのか」という答えから、自然の営み=魔法が消えてしまった都会では、マジックでその魔法を再現して、不思議な力を信じる子どもこころを思い出させる、その感動を忘れないでねと伝えるのがマジシャンだと学びました。
魔法を夢見る気持ちがマジックを生み、そのマジックを現実にしようと科学は発展し、そして再び魔法の夢をみる。人によってはこれを人間の欲望というのかもしれませんが、夢を見る力は必要ですね。
さて、そんな一番驚かなかった村人たち。このままでは帰れません。自然界ではそう起きないこと、村長の息子を消すというマジックを披露しました。阿鼻叫喚。村を恐怖に陥れてしまいました。相手を知らないとマジックもなかなかうまくいかないものです。

