TOWN TALK / 1か月限定の週1寄稿コラム
CULTURE

【#4】1999のマイティクラウン

2023.01.04(Wed)

「大阪のトキワと横浜のマイティクラウンてのがヤバいらしい。」

まだレゲエを聴き始めていない僕の耳にもそんな声がきこえてきたのは97〜98年頃でした。

その頃よく聴きに行っていたL?K?OのDJでトキワのNG-HEADの”悪ガキ代表”がかかっていたり、TOKIWAALLSTARS名義でのMISSION No.5が12インチカットされてHIPHOPのレコード店にも並んだり。  

一方のマイティクラウンも全国ツアーや、積極的なカセットテープのリリースを続け、98年に慶應大学SFCのメンバーが中心に作っていた雑誌モンスーンで特集されていたりしました。

そしてそんなジャンルの外にも噂が聞こえてくる大阪と横浜のサウンドが98年の年末にサウンドクラッシュで対決するというニュースが入ります。(サウンドクラッシュというのは、チームごとに曲をかけ合って盛り上げた方が勝ち。というバトルのこと)

当時のフライヤー、東京のTAXI-HIFIも含めた三つ巴のサウンドクラッシュでした。

まだレゲエの写真は撮り始めていなかったけれど、このクラッシュが行われる頃には横浜のレゲエの現場にも出会っていたし、トキワのLIVE録音テープやMIXテープも愛聴していたのでめちゃくちゃワクワクしてました。

1998年というとB-BOYパークでのMCバトルも始まっていない時期なので音楽でバトルするってこと自体がめちゃくちゃ新鮮だったのです。

大阪には行けなかったけれど年明けすぐに発売された実況録音版カセットテープを繰り返し聴きました。

MIGHTY CROWN VOl.8 、頂点の実況録音カセットテープ。TOKIWA STAR SIDE も発売されてました。

頂点1998実況テープ(マイティクラウン版) A面(クラッシュ開始は17分くらいから)

頂点1998実況テープ(マイティクラウン版) B面

結果はマイティクラウンの勝利。AWAYの大阪でもこんなにお客さん盛り上げるのすごい。。。

横浜のダンスホールレゲエを撮りたいと思ったのも彼らがいたからだったと思います。

MIGHTY CROWN 。左からMASTA-SIMON(マイティクラウンのリーダー、MC)、COJIE(selector、オールディーズなど渋めのセレクト担当)、 SAMI-T(selector、MC、MASTA-SIMONの実弟)、STICKO(MC、サウンドシステムのPA担当、のちにFIRE-Bの一員として歌い手に転身しメジャーデビュー)。1999年。横浜クラブヘブンにて。

この頃はまだみんな20代でイケイケでしたね。
当時の(20歳)自分からしたら「本牧出身で英語もパトワもペラペラな元スケーターで今はレゲエのサウンドやってる先輩」だけど
現在の(44歳)の自分からしたら「本牧出身で英語もパトワもペラペラな元スケーターで今はレゲエのサウンドやってる生意気な若者」だからどちらにしろグッときますね笑

SAMI-TとDwayne(Heat Wave),マイクを握るdetermine。レゲエタイムスのカメラマンを始めて最初のビッグダンスも彼らがジャマイカの名門レーベルDIGITAL-Bを招いてのSHOWCASEでした。ジャマイカから来たミュージシャンともGOODVIBESでリンクする姿が頼もしい。

夏には国内のサウンドやアーティストを呼んで毎年開催していた横浜レゲエ祭99も大成功。名実ともに日本一のサウンドを観に全国からレゲエ好きが集まりました。

横浜レゲエ祭99のフロア。奥にマイティクラウンのスピーカーが見えます。横浜クラブヘブンにて。まだタオルは振ってません。

このローカルアンセムが生まれた年でもありました。

国内での活動も充実する一方で彼らは海外でのチャレンジも続きていました。

99年6月にはボストンでオールディーズ縛りのサウンドクラッシュでジャマイカのCOXSONEとニューヨークのDOWNBEATという有名サウンドに勝利し海外での知名度も上げていきます。

するとついに10月にニューヨークで行われるWORLDCLASH99に参戦するとのニュースが入ってきました。
相手は前年王者のジャマイカのKILLAMANJARO、ニューヨークの人気サウンドKINGADDIESから独立した勢いのあるセレクターのTONY MATTEARHORN。
日本のサウンドマン達が憧れる現役バリバリのダンスホールレゲエサウンド達と同じ舞台で勝負する。
これだけでも当時の日本では大ニュースでした。
サッカー日本代表がついにワールドカップの舞台でブラジルとドイツと対戦する。みたいな感じです。
レゲエを聴き始めてからまだ1年経ってないくらいの僕にもそのニュースはセンセーショナルに響いたのでした。
ん?行った方がいいかも。
そう思いました。
何か胸騒ぎがしたのです。
20歳にして初めての海外だったのでパスポート作ったり、飛行機のチケット買ったり、クレジットカード作ったり、準備して行って帰ってくるまでずっとドキドキしてました笑
レゲエタイムスの先輩も一緒に行く事になり、成田からHISで予約したunited航空で人生初のニューヨークへ向かいました。
1999年当時の”地球の歩き方”に乗っていたマンハッタンで一番安いホテル(CASHONLY)に宿を取り、決戦の日を待ちました。

ブルックリンの街中に貼ってあったポスター。

当日、夜中の地下鉄でブルックリンまで行き、駅からはターバンを巻いたアラブ系の運転手のタクシーで会場のWAREHOUSEに向かいました。
当時はまだブルックリンというとなかなか治安の悪いイメージで、しかも夜中だし、ビクビクしながら向かったのを覚えています。

会場の前に着くとまさに黒山の人だかり。パトカーも来ています。
入場の列に並ぶんだけどなかなか進みません。なんだろうと列の前の方を見ると入り口で何やら揉めています。

中からは音が鳴っている様子がきこえ、ヤキモキしながら列に並んでいると前方から”バーーン!!”と銃声音のような音が聞こえ、前に並んでる人達が蜘蛛の子を散らすように逃げてきます。もちろん僕らも逃げます。
遠くから様子を伺うと銃声ではなく、入り口のドアを強く閉めた時の音だったよう。
再び列に並び直し待っていると再び大きな音と逃げ惑うお客さん。もちろん僕らも逃げます。

そんなくだりを何度か繰り返しているうちに時計は24時を周り、クラッシュが始まっている様子。
これ以上待てないということで列から外れエントランスのドアマンに直接交渉し、人混みに揉まれながらなんとか中に潜り込みます。

現在のWAREHOUSE、別の名前になっていますが建物は残っていました。左の銀色の扉から中に入りました。Googlemapより。

そこで僕の目に入ってきたのはステージ上の若いアジア人のプレイで盛り上がるブルックリンの観客たちでした。

観客のほぼ全員がアフリカ系アメリカ人男性。

なんじゃこりゃ!!

会場の中に入るだけでもドキドキだったのに異次元すぎる光景にアドレナリン爆発の興奮状態になり一目散に人ごみをかき分けステージに向かいました。

熱狂の渦の中心は我らがマイティクラウン。

若い兄弟がブルックリンの観客を完全にロックしています。

SAMI-TとMASTA-SIMON。ステージの上も関係者でいっぱいです。2人も横浜でプレイする時とは顔つきが明らかに違います。気合い入りまくってます。

対するKILLAMANJAROもMATTERHORNもさすが本場の人気サウンド、代わる代わる会場を沸かします。

ジャマイカ代表、前回王者のKILLAMANJAROのメインセレクターのTROOPER。
TONY MATTERHORN。ジャマイカ出身ニューヨーク代表。当時最も勢いのあったセレクターです。
当時は10インチのアセテート版に各サウンドのスペシャルダブプレートを録音してプレイしていました。
各サウンド全力です。

クラッシュは後半戦に入り、最初に地元ニューヨークのMATTERHORNが脱落。

ついに前回王者のKILLAMANJAROとMIGHTYCROWNの一騎打ち、Tune fi Tune (持ち曲を一曲づづつ交互に掛け合うスタイル)に突入します。

1969年から活動しているKILLAMANJARO(セレクターは代替わりしている)、持っているスペシャルダブプレートの数も桁違いです。

一方のマイティクラウンは1991年結成。Tune fi Tuneはfoundation(往年の名曲)勝負になることが多いので歴史の浅いマイティクラウン不利かと思いきや、この日の勢いそのままにガンガン押していきます。

※この日のクラッシュもYOUTUBEに上がっておりました。全編3時間半ありますが9分30秒くらいからのマイティクラウンの第一ラウンドだけでも是非。

そしてついに決着の時、ジャッジは会場のお客さんの声援により、勝者、、、マイティクラウン!!

横浜のローカルヒーローが一気に世界チャンピオンになった瞬間でした。

こんな瞬間に立ち会えるとは。会場にいる全員がまさかの結末に興奮していました。
帰国後、横浜のレゲエ関係者が出入りする場所に貼られていたチラシ。

まさに歴史的快挙を成し遂げたマイティクラウンはこの後、国内での活動もますます勢いを増し、日本のレゲエシーンを牽引していきます。メディア露出も徐々に増え(2000年には雑誌relaxにも特集されたりしています。)毎年夏に開催していた横浜レゲエ祭も年々規模が大きくなり、2006年にはついに横浜スタジアムでの開催にまでたどり着きました。

ローカルから東京を経由せずにインディペンデントのまま世界に飛びだす姿はまさに新時代の成功例だったのではないかと思っています。

そしてそんな歴史的現場を目撃した五十嵐青年もすっかりマイティクラウンとダンスホールレゲエに魅了され、レゲエカメラマン・イガシーとして数々の現場や各地のレゲエフェスに参加するようになっていったのでした。。。

クラッシュ開催の翌々日にブルックリンにて。

以上、渋谷系や裏原宿に憧れていた少年が地元横浜のダンスホールレゲカルチャーに出会い、魅了されるまでのお話でした。

下手な文章で読みずらかったと思いますが、古い話に付き合ってくれてありがとうございました!

しかしなんで急に今こんな話をしたかというと2023年の7月を最後にマイティクラウンがサウンド活動を休止してしまうからなのです。

しかも最後はクルーズパーティというこれまた前代未聞のフィナーレを用意して。。。

久しぶりに僕も生のマイティクラウンを観たい!今回のタウントークを読んで興味を持った方、一緒にいかがですか?

それでは2023年も良い年になりますように///

RESPECT!!

プロフィール

五十嵐一晴

いがらしかずはる|1978年、新潟県生まれ。フリーランスフォトグラファー。神奈川県出身&在住。武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業。INFAS THE STUDIO 235を経て2004年よりフリーランス。インディペンデント音楽レーベルPanPacificPlaya構成員。家庭内無砂糖菜食主義11年目。

Instagram
https://www.instagram.com/kazuharu_igarashi/

Official Website
https://kazuharuigarashi.com

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