カルチャー

【#2】1998新山下のクラブヘブン

2022年12月21日

月日が流れ1998年、20歳になる五十嵐青年は日本語ラップを好んで聴いていました。

スチャダラパー / funkeyLP(1998)
https://90s-hiphop.com/sdp_funkey/
https://www.youtube.com/watch?v=EHJaW7s0Pw4

渋谷ハーレムに初めて登場したスチャダラパー。奥にはDEV-LARGEさんもいますね。1998年。客席より勝手に撮影。

ユーザロック / GRAFFITIROCK98(1998)
https://www.j-hiphop.net/release/you-the-rock-the-graffitirock-98/
https://www.youtube.com/watch?v=EHJaW7s0Pw4

YOU THE ROCK
TWIGY / AL-KHADIRツアーFINAL@新宿リキッドルームに登場したYOU THE ROCK。1998年。客席より勝手に撮影。

TWIGY / AL-KHADIR(1998)
https://90s-hiphop.com/twigy_al-kha/
https://www.youtube.com/watch?v=16aQ-mMSNTY

左からMURO,TWIGY,RINO。TWIGY / AL-KHADIRツアーFINAL@新宿リキッドルームにて。1998年。客席より勝手に撮影。

ZEEBRA / THE RHYME ANIMAL(1998)
https://90s-hiphop.com/zeebra_rhyme/
https://www.youtube.com/watch?v=fiR8haRw8TY

ライムスター/ B-BOYイズム(1998)
https://90s-hiphop.com/rhymster_bboy/
https://www.youtube.com/watch?v=y5kq1WnAQpg

四街道ネイチャーのVIC Tomorrow(1998)
https://tower.jp/article/series/2009/03/05/100047364
https://www.youtube.com/watch?v=4zGrAEORTI8

などなどクラシック目白押しです。
97年からはJ-WAVEでHIPHOP専門ラジオ番組DA CYPHERも始まっており、
HIOHOP専門誌blastは(94年の創刊時はFRONTという名前だった)表紙のデザインも毎回カッコよくて憧れでした。
http://mixtapetroopers.blog49.fc2.com/blog-entry-330.html?sp

一方の94年の時点であれほど盛り上がっていたレゲエはというと
レゲエジャパンスプラッシュを運営しレゲエマガジンという専門誌を発刊していたタキオンが倒産。
各地で行われていたレゲエフェスが無くなり、まさにレゲエ冬の時代を迎えていたのでした。

そんな焼け野原のレゲエ業界で頭角を表してきたのが横浜のマイティクラウンや大阪のTOKIWAなどの各地の若いサウンド(システム)。
サウンド(システム)というのはダンスホールレゲエ独自の文化で、自前のスピーカーおよびPAシステムと独自のスペシャルなレコード(ダブプレート)を保有するDJチームのこと。セレクター(レコードをかける人)とMC(プレイ中にマイクで喋る人)が主な構成員。
80年代末から90年代前半にかけてのレゲエブームの中心は本場ジャマイカンアーティストのステージショウが中心だったようですが00年代のレゲエブームは国内のサウンドとアーティストが中心となり盛り上がっていきます。

はじめてマイティクラウンと横浜のレゲエシーンを目撃したのは1998年の新山下のクラブHeaven(横浜ベイホールの隣、現在はmont-bellしんやました店)で行われた「横浜ベイモンスターズ」とい横浜にゆかりのあるHIPHOPとレゲエのアーティストが揃ったイベントでした。

B-BOYイズムリリース直後のライムスター(DさんJINさんは横浜出身)を目当てに行ったんですが、一緒に出てたH-MANやNANJAMAN、マイティクラウンなどのカッセトテープでしか音源が発表されていないローカルなアーティストたちに衝撃を受けたのでした。 (98年当時のカセットテープというメディアはまさにストリート直送。soundcloudもYOUTUBEもCD=Rさえも無いのでレゲエでもHIPHOPでもテクノでも、自分達で作った音楽を発表する最初のメディアはカセットテープだったのです。)

システムテープと言われたダンスホールレゲエの現場の実況録音テープ達。RAWな音質に痺れます。撮影は2004年。

中高の6年間を横浜黄金町の学校で過ごしていたものの、憧れていたのは東京の音楽やファッションで、地元横浜で独自の文化が生まれつつあるなんてことはつゆ知らず、、、この時初めて
「ローカルならではのいなたさとかっこよさ」
みたいなものを発見、体感し、魅了されたのでした。

続く

1998年当時の私。STUSSYのCAPに SARCASTICのTシャツ、ゴローズの皮のブレスレットにCASIOデータバンク。

プロフィール

五十嵐一晴

いがらしかずはる|1978年、新潟県生まれ。フリーランスフォトグラファー。神奈川県出身&在住。武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業。INFAS THE STUDIO 235を経て2004年よりフリーランス。インディペンデント音楽レーベルPanPacificPlaya構成員。家庭内無砂糖菜食主義11年目。

Instagram
https://www.instagram.com/kazuharu_igarashi/

Official Website
https://kazuharuigarashi.com