カルチャー

【#1】春画のおもしろがり方

2022年11月11日

photo & text: Shungirl
edit: Yukako Kazuno

磯田湖龍斎『風流十二季の栄花(ふうりゅうじゅうにきのえいが)』(1773年)

はじめまして。春画―ル(しゅんがーる)と申します。趣味で江戸期の春画や性文化の発信をしたり、執筆をしています。

今回は全4回の連載を通して、江戸期に制作された春画の、私なりの面白がり方を紹介していきます。第1回は江戸中期に活躍した浮世絵師・磯田湖龍斎(いそだこりゅうさい)の『風流十二季の栄花(ふうりゅうじゅうにきのえいが)』(1773年)という12枚からなる組物より一図紹介します。

磯田湖龍斎『風流十二季の栄花(ふうりゅうじゅうにきのえいが)』(1773年)不自然に絵の端が切れている…。

いきなりですが、私の撮影したこの作品は後世、誰かの手によって裁断された作品です。というのも、この『風流十二季の栄花』は12か月の年中行事をテーマにした作品であり、各図には、その月の行事にちなんだ句が書かれているからです。しかし、この作品では句の箇所が切り落されています。本来なら図に書かれた句と図の関わりを考えながら絵師の意図を読み解くことが鑑賞の面白さのはずなのに、何らかの理由で作品の大きさを小さくしたかったのかもしれません。そのような作品の変化を見るのも鑑賞の面白さです。

紹介する図は「如月(きさらぎ)」つまり2月をテーマにした春画です。本来あったはずの句には、「初午や 今日を初めの 挿艾(さしもぐさ)」と書かれていました。初午とは2月最初の午の日です。艾(もぐさ)とはヨモギから作られるお灸のアイテムです。現代では台座のついた貼り付けられるお灸や、火を使わないお灸がメジャーなので艾を見たことない方も多いかもしれません(お灸は気持ちいぞお!)。

描かれた少年少女たちは、読み書きを習うために手習い所に来ています。初午は学齢に達した子どもたちが手習い入りする日であったようで、そのため2月に手習い所を描いたのでしょう。

少女はお勉強に飽きてしまい居眠りしているように見えますが、図に書かれた2人の会話を読むと、どうやら少女は起きているようです。会話は少年の左側と文机の下に書かれています。

少年「それ、温かで気持ちいいだろう。」

少女「私は痛くても我慢しているよ。」

予想するに二人は勉強そっちのけでスケベなことをしているようです。

磯田湖龍斎『風流十二季の栄花(ふうりゅうじゅうにきのえいが)』(1773年)少女は少年の上にまたがってる??

図をアップにしてみると、少女は少年の上にまたがっているように見えます。きっと机の下で粘膜と粘膜の戯れをしているのでしょう…。少年は机に向かって真面目に墨を擦っていると見せかけて確信犯です。(けしからん!)

句にある「初めの挿艾」とは艾を少年のマラに見立て、少女にとって初めての異性との交わりを示唆しているのでしょう。とすると少年の「温かで気持ちいいいだろう」というセリフは「お灸」と「熱くなったマラ」を掛けており、少女の「痛くても我慢している」というセリフは「お灸の熱による痛み」と「初めての交わりの痛み」を掛けているのだとわかります。

お灸好きからすると「お灸=リラックス・気持ちいい」というイメージですが、据える箇所によっては灸に痛みを感じることもあったようです。

江戸期には、灸を女陰に据えると避妊効果があると考えられていたようで、歌川豊国の描いた『廓の明け暮』という仮題の作品には、あまりの熱さと痛みから手拭いを口で噛みながら女陰に灸を据えるたくさんの遊女が描かれています。

今回紹介した少女も女陰に大きな灸を据えたようなもので、そりゃ痛いよね…と思ってしまいました。

磯田湖龍斎『風流十二季の栄花(ふうりゅうじゅうにきのえいが)』(1773年)二人を注意せずに見守る姿勢。

もうお気づきの方もいると思いますが、そんな2人の秘密の交わりは、手習い所の先生らしき人により覗かれています。よくある春画のわらいのパターンなら、この人は覗きながらマスタベーションしているはずです。そんな絵に描かれていない箇所も想像すると、さらに鑑賞が楽しくなるのです。

画像提供: 五拾画廊

プロフィール

春画ール

しゅんがーる | 2018年より活動をスタート。江戸期の春画や性文化についてのコラムを執筆している。著書に『春画にハマりまして。』『江戸時代の女性たちはどうしてましたか?―春画と性典物からジェンダー史をゆるゆる読み解く』などがある。

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