役者として、最初の映像の仕事は
『47Ronin』だった。
自分の緊張を、乗っていた馬が
敏感に感じとってしまい、
全然いうことを聞いてくれなくて、
苦労した記憶が苦い。
その時に共演させて頂いた真田広之さんと
ロサンゼルスで食事をさせていただいた。
「今度は親子役で共演できたらいいな」
そう言っていただいた半年後、驚くことに
親子どころか、同一人物を
演じることになったのが
『レイルウェイ 運命の旅路』だった。
灼熱のタイで、
謎の白い粉を背中に振りかけながら、
軍服姿でコリン・ファースを連行した。

他の、異なった時間軸にいる個々の場面も、
終戦後の:コリン/真田さんチームと、
戦時中の:ジェレミー/淡朗チームは
まるで一つの劇団かのように、
交互に撮影を重ねる日々が続き、
私は、多くのことを学ばせて頂いた。
『能』的な、針穴に糸を通すような演技、
インプロで培った、即興性、
演劇学校で得た、汎用性と職人的なスキル、
螺旋から得た、自分に適した、役づくり。
それらが繋がった瞬間だったかもしれない。
残虐な日本兵(軍属)という、
現代的な感覚では理解し難い役柄
しかも実在した人物にどう望むか。
取調べのシーンは、まさに
一騎討ちの真剣勝負だった。
コリン/真田さんチームのシーンを見て
それに触発されたジェレミーも
本気で細やかな演技をしてくる。
それを読み取り、こっちも撃ち返す。
ゾクゾクする現場だった。

(カンチャナブリを流れるクワイ川)
イギリス式の演技法では
一に聴くこと、二に聴くこと、と習う。
『傾聴』が役者のスキルとして
最も重要であるとして、あとは、
それに対するリアクションで
演技はある程度、成り立つ。
(しかし、これが実は一番難しい)
また、大女優であるメリル・ストリープは
「役者とは共感する職業である」と言う。
ヒトラー役を演じるには、彼と自分自身に
何かしらの共感を見出さなくては、
彼を演じることは出来ない。
ナガセという謎に包まれた人物に共感し、
そこに映画作品として作り上げられた
台本上の彼の姿を重ね、自分の中に
取り込んでいかなければならない。
彼の眼差しも、弱さも、残虐性も。

(ロンドンの地下鉄駅で向き合う2作品)
ロンドンで、ある仮装パーティー
に行った時、英国軍服の仮装を見かけた。
突如、そのイギリス兵たちの姿に
言い様のない嫌悪感を抱いた。
自分の中にナガセが出来上がっていると
安堵した瞬間だった。