カルチャー
a History of Horror Films ’60s(1/2)/文・碓井みちこ
ヒッチコックの恐怖演出。
2021年8月18日
アルフレッド・ヒッチコック監督は、“サスペンスの巨匠”として名高い。しかし、’60年代に作られた『サイコ』と『鳥』はまごうかたなきホラー映画だ。彼はいかにして恐怖を演出したのか。
アルフレッド・ヒッチコック監督は、“日常がそのまま非日常になる恐怖”を描くのに長けた監督でした。『サイコ』(1960)についても、それは当てはまります。『サイコ』は、恋人と駆け落ちするために会社の金を盗んだマリオンの逃亡劇として始まりながら、宿泊したモーテルのシャワールームで惨殺されてから物語が一変します。ですので、『サイコ』をホラー映画として位置付けるとき、シャワー・シーンや、その後に犯人が二重人格だったと判明する衝撃のラストが着目されがちですが、実はそこに至る過程でも、観客の居心地が悪くなるような瞬間をいろいろ忍ばせてるんです。
例えば、マリオンがベイツモーテルにたどり着いて、応接室で管理人のノーマン・ベイツと食事を取りながら話すシーン。最初はごく普通にマリオンとノーマンを交互に映していくんですが、話の内容がノーマンの母に及ぶとほぼ同時に、ノーマンを映すショットが彼を仰ぎ見るような異様なローアングルに変わるんです。一見するとなんでもない会話シーンですが、だからこそアングルの変化が強く印象に残ります。彼の背後には目を怪しく光らせたフクロウの剥製が羽を広げていて、ゾクッとします。
マリオンが殺されるのはこの直後。最初、映画はそれをノーマンの母の仕業であるかのように見せるのですが、実は母は既に死んでいて、最後でノーマンの仕業だったことがわかります。しかも、彼は自分自身と母親の人格を持つ二重人格者であり、殺人を犯すのは母の人格のときで、母屋にはミイラ化した母を置いている。そういった結末をすべて知ってからこの会話シーンを観直すと、ノーマンの複雑な内面を表しているかのようにも感じられますし、何げない会話シーンに不気味なショットを差し挟むことで、シャワー・ルームでの殺人という、日常が非日常に一変するその後の展開を予告しているかのようにも見えます。これがヒッチコックの恐怖表現の特徴だと思います。
『サイコ』のホラー的な表現ということで言えば、もうひとつ重要なのが音声の使い方だと思います。劇中では何度かノーマンの母の声が聞こえるんですね。一番有名なのは、捕まったノーマンが留置所のようなところで座っているシーン。ノーマンは口を閉じているんですが、「ノーマンは悪い子で母親の私に殺人罪を着せようとしたの」と語る母の声がボイスオーバーで響く。つまり、ここではノーマンの心の声であると理解できるんですが、だとしたら、それ以前の母の声もすべてノーマンの心の声だったのでしょうか。
例えば、マリオンの死後、彼女を捜してノーマンのところにはいろいろな人がやってくるのですが、そこで彼は母のミイラ(この瞬間はまだミイラだと観客は知りませんが)を地下室に運ぼうとします。そのとき、ノーマンと母の言葉のやりとりがあるのですが、ここもノーマンの心の声だったのでしょうか。たしかに、母の口元は映されないので、そう解釈することもできるのですが。しかし、さらに不可解なのは、モーテルに到着して間もなく、部屋の中にいたマリオンが、モーテルの裏にある母屋を部屋の窓から眺めながら、ノーマンと喧嘩する母の声を聞いているかのように見えるシーンがあるんです。このとき母屋の中は映されないので、すべてノーマンが演じていたという可能性もありますが、かなり異様です。答えは出ないですが、興味深いのは、母の声がノーマン自身だけでなく母屋と強く結びついているということ。だから、家自体が喋っているように思えるんです。ヒッチコック監督作ではありませんが、続編の『サイコ2』(1983)では、ノーマンが久々にあの母屋に戻ると、無人のはずの部屋から母の声が聞こえてくるというシーンがありますが、もはやこの続編は、“怖い家”を描くホラー映画のようになっています。ヒッチコックの『サイコ』もあえて言うなら、家という日常の空間を、声を付け加えることで異様な空間にしていると捉えられるかもしれません。
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