カルチャー

リューベン・オストルンド監督にインタビュー。

映画『逆転のトライアングル』公開記念!

2023年2月22日

text: Keisuke Kagiwada

ⒸTobias Henriksson

ファッションモデルのカールとヤヤのカップルは、豪華客船クルーズにインフルエンサーとして招待される。「お客様の言うことは絶対。言いなりになれば後は金がいただける!」と息巻く客室乗務員にもてなされるのは、ロシアの傲慢な成金から武器製造ビジネスを手がける心やさしき老父婦まで、クセの強い金持ちばかり。しかし、突如として客船が難破し、騒々しい時間は終止符を打つ。カール&ヤヤをはじめとする数人は、無人島へ漂着し、サバイバル生活を送ることになるが……。『逆転のトライアングル』は、そんな物語の中にあらゆる人間の愚かさをぶち込み、ブラックユーモアたっぷりに描き出す怪作だ。監督を務めたスウェーデンの鬼才、リューベン・オストルンド監督に話を聞いた。

Fredrik Wenzel © Plattform Produktion

ーー本作では、資本主義の手のひらの上で踊らされる人々の滑稽さが、痛烈な皮肉を通して描かれています。監督はこれまでもそうした滑稽さにフォーカスしてきましたが、今作ではよりディープに追求されていると思いましたし、衝撃的なラストには「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像するほうがたやすい」という有名な言葉を想起しました。監督は世界全体を覆い尽くす資本主義というものをどう捉えているのでしょうか。

私自身はある種の社会主義者なので、資本主義はネガティブな結果を生むシステムだと思っています。仰るように、本作では資本主義、より正確に言えば、アグレッシブな市場経済がどうなっているのかを掘り下げています。そういう社会は、人間を人間としてではなく、商品として扱います。したがって、そこで生きる人々はお互いのことを、何かしらの経済的な取引ができる可能性のある商品として見ることになります。マルクスも語っていますが、アグレッシブな市場経済は、人から人を疎外するものなんです。カールとヤヤという2人のファッションモデルを主人公にしたのはそうした事情によります。ファッションモデルというのは、人間の商品化の際たるものですから。

ただ一方で、資本主義には、いいところもあると思っています。例えば、寿命が伸びたし、赤ちゃんが命を落とす確率も低くなっているし、全体としては豊かになっている。何か批判をするのであれば、悪い部分だけを見てはいけないと思っています。

ーー本作では資本主義を批判する人もまた、痛烈に皮肉られています。例えば、ウディ・ハレルソン演じる豪華客船の船長は「アメリカ合衆国のマルクス主義者」を自認していますが、彼もまた賢いキャラクターとしては描かれません。そこには、資本主義はありとあらゆる人間を愚かにするという認識すらも垣間見えました。今、監督はマルクスの名前を出して資本主義の難点を指摘されましたが、とするなら、この映画で皮肉られる人物の中には、監督自身も含まれているのでしょうか。

もちろん、含まれています。そもそも今回の映画を形作る要素の大半は、私の実体験からインスピレーションを受けているんです。とりわけ、登場人物がしばしば、ある問題に対して、自分の尊厳を失わない形で解決しようともがくあたりは。実際、冒頭でカールとヤヤは、レストランでどちらが支払うかを巡って喧嘩しますが、あれは私と妻の間で実際に起きたことがベースになっています(笑)

いずれにせよ、自分の作品は、自分自身を映し出す鏡だと私は思っています。だから、多くの登場人物に自分自身の姿を見ることができるし、情けなかったり、失敗を犯すキャラクターにもシンパシーを覚えます。

アメリカ、アングロサクソン系の映画においては、ヒーローとそうでない者、正しい信念を持っている者とそうでない者を、明確に提示する傾向があります。しかし、それだと私はシンパシーを感じられません。なぜなら、悪党には共感してはいけないと感じてしまうから。だから、本作では絶対善や絶対悪を描かないように心掛けてました。

Fredrik Wenzel © Plattform Produktion

ーーなるほど、だから、武器製造という穏やかじゃないビジネスを手がける老夫婦が、とても心が優しく描かれたりしているわけですね。興味深いのは、そういうシリアスなメッセージが含まれている本作が、コメディとして撮られているという点です。なぜ、コメディにしようと思ったのですか?

現在、ヨーロッパの映画が抱える最大の問題は、国からの助成金で作っていることだと思います。そうするとやはり、国が求めるものに近づける必要が出てくるし、極論、観客に届けるということを考えなくなってしまう。観客に届こうが届かまいが、映画が作れてしまうから。

一方で、70年代、ルイス・ブニュエルの監督作なんかに顕著ですが、娯楽性と政治性を兼ね備えたものすごいワイルドな作品が普通に公開され、お客さんも来て、収益も出て、経済的に成り立っていたわけです。

私の場合、キャリアの初期においては、アートハウス映画でできることの可能性と限界に挑戦したいという気持ちがありました。しかし、『プレイ』を撮ったあたりから思い始めたんです。”重要な映画を作っているアートハウス作家”のふりをしているだけなんじゃないかって。だから、『フレンチアルプスで起きたこと』から本作に至るまでの3作は、観客に届かないと経済的に成立しないというプレッシャーを抱えるアメリカ的な映画づくりと、社会についてのディスカッションを誘発するヨーロッパ的な映画づくりを、組み合わせたいと考えていました。そこには、コメディが必要だと思ったのです。

と同時に、私はコメディというスタイル自体に、とても親近感を覚えているんです。映画文化においては私をインテリとか作家と見なしている人が多いと思うんですが、まったくそうではありません。実はどっきり映像なんかに、ものすごく影響を受けているんです(笑)。ユーモアにおいても、映画的言語においても、私はとても直接的です。 何かを直接的に表現するのは凡庸すぎるからと、隠そうとする監督もいるでしょう。違う形で見せたり、ちょっと複雑にしてみたり。私はそういうことが嫌いなんです。そのまま出したい。

Fredrik Wenzel © Plattform Produktion

ーーどっきり映像に影響を受けていたとは驚きです(笑)。影響の話が出たので、お伺いしたいことがあります。本作には、豪華客船でのディナーの際、船酔いで乗客が次々に盛大なゲロを吐くというとんでもないシーンがあります。『モンティ・パイソン/人生狂騒曲』におけるレストランでのゲロシーンを思い出したのですが、パイソンズの影響はあったんでしょうか。

そうですね。今回のゲロシーンは、観客の期待よりも10%くらいショッキングにしようという意気込みがあったので、映画の有名なゲロシーンはあらかたチェックしました。その中には当然、『モンティ・パイソン/人生狂騒曲』もありました。ただ、70年代にスウェーデンで生まれた者なら、幼少時代に『空飛ぶモンティ・パイソン』をすべて観ているのはごく当然なんです。映画監督を目指す以前から自分のバックボーンになっているので、意識しなくてもパイソンズ的なものは出てくると思います。

ーー本作はカンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞されています。奇しくも『モンティ・パイソン/人生狂騒曲』もまた、審査員特別賞を受賞しています。カンヌ国際映画祭というと、ハイブローなイメージがありますが、実際は下品なジョークが好きなんですかね?(笑)

それはどうでしょうね(笑)。答えになってるかどうかわからないけど、ひとつ言えるのは、カンヌ映画祭っていうのは、ごく一般的な人間の愚かさを描いたコメディであっても、人生のある側面をしっかり捉えているなら、評価してくれるってこと。主人公に特別な人物を据えたシリアスな作品だけでなくても。アートとしての表現もありつつ、同時に観客に届くものを評価してくれる映画祭なんです。

インフォメーション

逆転のトライアングル

モデル・人気インフルエンサーのヤヤと、男性モデルのカールのカップルは、招待を受け豪華客船クルーズの旅に。リッチでクセモノだらけな乗客がバケーションを満喫し、高額チップのためならどんな望みでも叶える客室乗務員が笑顔を振りまくゴージャスな世界。しかしある夜、船が難破。そのまま海賊に襲われ、彼らは無人島に流れ着く。食べ物も水もSNSもない極限状態で、ヒエラルキーの頂点に立ったのは、サバイバル能力抜群な船のトイレ清掃婦だった。2月23日より全国公開。

プロフィール

リューベン・オストルンド

1974年、スウェーデン生まれ。長編デビュー作『The Guitar Mongoloid』でモスクワ国際映画祭国際映画批評家連盟賞を受賞。2014年、『フレンチアルプスで起きたこと』でカンヌ国際映画祭ある視点部門審査員賞を、続く2017年の『ザ・スクエア 思いやりの聖域』で、同映画祭最高賞であるパルムドールを受賞。『逆転のトライアングル』で再びカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞という快挙を成し遂げた。パルムドールを2回連続受賞をした監督としては史上3人目(ビレ・アウグスト、ミヒャエル・ハネケに次ぐ)の快挙となる。