LIFESTYLE

シティボーイのためにならない宴会芸。

文・マイケル御手洗

2021.12.27(Mon)

text: Michael Mitarai 
photo: Kyuseishu
edit: Yukako Kazuno

第一話
第二話
第三話

「さよならを言うことは、少しだけ死ぬことだ。」とレイモンド・チャンドラーの小説の主人公は言った。シティボーイのみんなとのさよならを迎えるこの最終回、「宴会芸をやることは、少しだけ生きることだ。」とぼくは言いたい。この連載の第一回でぼくは「素朴だけど、勇敢で、その人らしく、心のこもった宴会芸」が大好きだと言った。これまで紹介してきたのはそんな、シティボーイにふさわしい、シティボーイのための宴会芸だった。

この最終回では思い切って、シティボーイという枠からはみ出ようと思う。宴会芸研究の中でぼくが出会った、ちょっと狂気じみていたり、意味不明だったり、今の時代にはアウトな宴会芸を紹介しよう。正直どれもシティボーイ諸君にはおすすめできない芸ばかりだ。こういう芸をやっていると、シティボーイではいられなくなる危険すらある。

なんでそんなもの紹介するかって?かつてこの国の宴会場に、普通の芸では飽き足らず、こんな芸にたどり着いてしまったセンパイがいたという事実を知ってほしいからさ。それは歴史の深さや世界の広さを知ることにもなるかもしれない。だって、人類が宴会場で笑って泣いて戦った末に残された無形の遺産。それが宴会芸なんだからね。

人間ドッグ

はたして人間ドックという言葉をシティボーイのみんなは知っているだろうか。ドックというのは船の整備をする場所のことだ。船を整備するように人間の健康状態を調べるのが「人間ドック」。平たく言えばそう、健康診断。そんな「人間ドック」と犬の「ドッグ」を重ねるという芸がこの「人間ドッグ」だ。控えめに言っても日本中で約8000万人が思いつきそうなアイデアだよね。ダジャレを安易に宴会芸にするということが、こんなに危険なことだとは!靴下を手に履き、ニット帽をかぶり、ぐるぐる回って「ワン!」と叫ぶ。

こんなにもシンプルな芸なのに、見るものにぞっとするような狂気を感じさせるのはなぜだろう?おもしろいとかおもしろくないを越えて、深い闇の世界に迷い込んだような気持ちになる。宴会芸にも踏み込んではいけない領域があるようだ。シティボーイ諸君、芸というものはどこかで呪術にもなりうるってことを、忘れないでいてほしい。

さらし首

中世のヨーロッパ社会では処刑が熱狂的なエンターテイメントだったらしい。江戸時代の日本でも罪人のさらし首は人々がこぞって見物に出かける娯楽のようなものだった。そんな人間の薄暗い感情に着想を得たのがこの芸。文献には「大事なことは、顔の表情。白目をむき、口から血を吐いている有様を真剣に演じること。」なんて書いてある。

「テクノロジーは劇的に進化した。でも、ぼくたち人間はこれっぽっちも進化してないんじゃないか?」という壮大なテーマを投げかけたい時にうってつけの芸かもしれない。でもそれ以外では全くおすすめできない。死刑廃止論というややこしい問題にも足を踏み入れることになるしね。

自虐のブタおに

顔芸は数ある宴会芸の中でも大好きなジャンルの一つだ。スピーディでノンバーバルでボーダレスなところが、今の気分にあっているよね。ただ、そのおもしろさが顔面のポテンシャルや、表情筋のテクニックに大きく依存するのが玉にキズだ。その点、この「自虐のブタおに」はよくできている。割り箸を使うだけで老若男女、誰がやっても強烈なファルス(=笑い)をもたらす顔になるんだから。しかも、小道具である割りばしはどんな宴会場で簡単に手に入る。実は、江戸時代の文献『北斎漫画』にも登場する、数百年の歴史を持つ古典宴会芸の代表格だ。

おすすめできない理由はただ一つ。割りばしが鼻の奥に突き刺さり、ケガの危険がある。鼻血が吹き出す危険にシティボーイをさらすわけにはいかないよね。ぼくの場合、刺さりどころが悪くてくしゃみが止まらなくなったっけ。

名刺カルタ

1986年生まれのぼくは、当時生まれてはいたもののバブル経済を体験したとは言えない。「地上げ」「ジュリアナ」「W浅野」の3つがバブルの象徴だってことはもちろん知ってるけど、イマイチ実感がわかないというのが正直なところだ。バブルってのは、大人たちの共同幻想だったんじゃないかなっていう気もしていた。でも、バブル期の文献を調べて、この宴会芸に出会うことでやっとわかったんだ。「バブルとは、名刺でカルタをしちゃう時代なんだ!」ってこと。宴会芸には過去を追体験する力もある。ただし、今は、2021年。人前でやったら即シティボーイ失格なので、要注意だ。

名刺カードダスなんて宴会芸も文献には登場する。こんなこと、よく思いつくよね。

ストッキングレース

結婚式二次会で、哺乳瓶のビール一気飲み対決が始まると、ぼくは帰宅の準備を始める。これをやっておけば良いだろうという安直さに具合が悪くなっちゃうんだ。酒を飲む人も飲まない人も平等に楽しむべきこの時代、一気飲みが芸だと思う人間と同じ空気を吸いたくはないよね。

ストッキングレースも正直、同じようなものだと思っていた。ドラッグストアでストッキングを買って、宴会芸仲間とやってみるまではね。困ったことに、これがかなり面白かったんだ。顔だけじゃなくて、どうやったら勝てるか?というゲーム性も奥深かったりもする。情けないことに、ぼくたちは夢中になってしまった。でも、SDGsという観点から考えるとかなり問題があるような気もするよね。これを後世に残すべき芸かどうかは、シティボーイ諸君の判断に任せたい。

エクトプラズム

魂が口から外に出る時に目撃される白い煙、エクトプラズム。この超常現象もまた、センパイたちは宴会芸にしてしまった。オカルトへのクールな眼差しを感じる良いアイデアかもしれない。でも、その手法にはちょっと問題があると言わざるを得ない。80年代の文献には「小さな箱に入れたドライアイスを口の中に入れる」と書いてある。なんて危険な!そう思ったぼくたちはタバコを使ってやってみたけど、煙が全然物足りなかった。口から安全かつリッチな煙を吐く方法を見つけるシティボーイが現れた時、この宴会芸は30年越しで完成するのかもしれない。くれぐれも、ドライアイスは口に入れないこと!

鼻毛の曲藝

パントマイムというとわかりやすいだろうか。まず、2つの鼻の穴から数十センチにわたる長い鼻毛を引き出す動きをする。そしてその長い鼻毛をよりあわせて綱をつくる。これはまだ序章にすぎない。その鼻毛の綱を、柱の両端に結び付けて、三味線の伴奏にあわせて綱渡り。そこで終わっても良さそうなものだけど、なんと、綱を解体して鼻毛に戻して、すっかり鼻の穴に収納するんだ!さらに、別の鼻毛を引き出して、鼻の上に立てたり額の上に立てたり、なんてアンコールもあったらしい。

この宴会芸が収録されているのは明治44年の文献『宴会お座敷芸』。お座敷遊びの延長線上にある、シンプル&洒脱な宴会芸が主流の時代に、こんなこってりした世界を発明したセンパイが居たとは!この芸が明治のシティボーイからどんな目で見られていたか、とても興味がある。でも、そもそもシティボーイと鼻毛は悲しいほどに相性が悪いよね!

学問というのは万能ではない。科学がこれほど進んでもジュラ紀を生きた恐竜の生態や、深海や宇宙には謎や神秘が満ちている。同じように宴会芸学の研究も、宴会芸という偉大な大地のほんの表層しか掘り起こせていない。ぼくは一人の研究者として、宴会芸の奥深さに日々驚き続けている。

今回の連載で紹介できたのは日本宴会芸学会の研究成果のごく一部だ。この世界にはまだまだ埋もれている文献がたくさんある。そして何より、文献には残らない傑作宴会芸も、この世界には無数にあるはずなんだ。宴会芸のアクティビストが年々減る中で、人々の記憶から失われる前に宴会芸のオーラルヒストリーを収集していかなくてはいけない。なんて研究しがいのあるテーマなんだ!そう思わないかい?

この連載をきっかけに、宴会芸を人生のちょっとした楽しみにするシティボーイが1人でも増えてくれたら、これに勝る幸せはない。2020年代の今、宴会場はSNSをはじめとするデジタル世界にも拡張しているのだからね。

最後にもう一度、すべてのシティボーイにこの言葉を贈ろう。

「世界は宴会場、生きることは宴会芸」

では、宴会場でまた会おう!

プロフィール

マイケル御手洗

マイケル・みたらい│1986年生まれ。日本宴会芸学会研究員。専門は宴会芸哲学。2018年に開催された第74回日本宴会芸学会で「特別講義:マイケル御手洗の宴会芸白熱教室」を開講。カントやベンサムを引用しながら“宴会芸における正義とは何か?”を語り掛ける、ナラティブでプラクティカルな講義を繰り広げ、宴会芸研究に新しい地平を切り開いた。西海岸ロックとエシカルコーヒーを愛する。日本宴会芸学会のSNS担当でもある。ご意見・ご感想・宴会芸情報、お待ちしています。

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第74回日本宴会芸学会「マイケル御手洗の宴会芸白熱教室」講義録
https://note.com/enkaigei_gakkai/n/na28f8b82ef45

 
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