ポパイ五十周年
インタビュー集

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POPEYE 50周年記念インタビュー

Yasuhiko Kobayashi

プロフィール

小林泰彦

こばやし・やすひこ|1935年、東京生まれ。イラストレーター、エッセイスト。『平凡パンチ』『POPEYE』でイラスト・ルポを連載、欧米の若者のライフスタイルを日本に紹介した。著書に『イラスト・ルポの時代』『日本百低山』など。2024年にはヘビーデューティーの集大成『ヘビトラ大図鑑』を上梓。

Q1. あなたと『ポパイ』の関わりについて教えてください。

僕が1967年に初めて『平凡パンチ』の仕事をした頃、編集長は木滑良久さん。編集部には石川次郎さんや椎根和さん、鈴木正明さん、後藤明生さんら、のちに『POPEYE』を作ることになる人たちが机を並べていました。

最初の仕事は、葉山の海岸で休暇中のアメリカ兵を取材する企画。ベトナム戦争の最中で、横須賀に駐留している兵隊たちが、葉山の米軍専用ビーチで遊んでいたんです。まだ海外旅行が自由化されたばかりの頃で、西洋人がビーチでどう遊ぶのかなんて、日本人は誰も知らない時代でした。今思えば、ダサい格好の兵隊同士がビールを飲んでいるだけなんだけど、それが当時は「アメリカ」だった。その記事が67年の『平凡パンチ』に載って、ものすごく評判が良かったんです。

その年の10月、次郎さんに「海外取材をやりたい」と言われて、初めてアメリカ取材に行きました。次郎さんは免許を持っていなかった、僕が運転係。サンフランシスコ空港でレンタカーを借りたら、いきなり巨大な「ダッジ・ダート」。左ハンドルもオートマも初めてで、周りの車の動きを見ながら発進したんだけど、いきなり逆方向に走っていってね。そんなスタートでした。その取材を、次郎さんが「イラストルポ」と名付けて連載にしたら、大ウケしたんです。

当時の平凡出版(現マガジンハウス)は、体質が古くて、一癖ある人ばかりのちょっと怖い集団だった。木滑さんはそれを変えたかったですね。もっと新しく、きれいにやりたい人だったから、外部スタッフを使い始めた。すると社内から反発が起きて、木滑さんは次郎さんを連れて、六本木にあった関連会社である「平凡企画センター」に移ることになります。そこでいろいろな仕事をする中で、大きかったのが『SKI LIFE』という雑誌。読売新聞が毎年出していたスキー雑誌を、「何をやっても文句を言わない」という条件で任されることになったんです。僕も山と渓谷社でスキーの仕事の経験があったし参加することにしました。

そこで「誰もやってないことをやろう」という話になり、アラスカへ行くことにしたんです。アリエスカというスキー場は、いまは大きくなりましたが、当時は小さなリフト一本だけ。でもそれが面白かった。そこにいたのは、ほとんどが「スキーバム」。ヒッピーみたいな連中で、スキーさえできればいいという若者たちでした。

次郎さんが「1日5ドルやるよ」と言うと、喜んで何でも手伝ってくれる。彼らはアリエスカ・リゾート周辺の別荘を“管理している”と言っていたけど、実際は空き家同然の豪華な別荘を自由に使っていた。中には仲間と丸太小屋を建てて暮らしている連中もいた。自然志向で自分たちの手で生活を作る若者たちだったんです。

その感覚は、数年前にニューヨークの書店で見つけた『ホールアースカタログ』と重なりました。自分で道具を選び、自分で生き方を作る西海岸的な精神。アラスカにいた彼らはまさにその実践者だったんですね。

「2万部売れればいい」といわれていた『SKI LIFE』は、結果的に10万部近く売れた。その後、アラスカ取材で撮った写真がきっかけで『Made in U.S.A Catalog』が生まれ、それもヒットしたんです。さらに『SKI LIFE 2』、『Made in U.S.A.2 Scrapbook of America』と続いていきます。六本木の編集室でのこうした“準備運動”が、やがて『POPEYE』につながっていくんです。

Q2. シティボーイと聞いて最初にイメージするのは?

これはね、洋服がいいな。ポロシャツ。

ある夏の夜遅く、僕は家の縁側でスイカを食べていたんですよ。庭に出て種を吐き出していたら、次郎さんから電話があって「今から行く」と。「え、今から?」と言ったんだけど、「今から行く」って。うちは本当は車を止められない借家だったんだけど、大家さんに頼んで塀を壊して車が入れるようにしていた。ただ、その門がうまく開かない(笑)。しかし庭から回ってきて無理やり開けて、「こんばんは」って木滑さんと次郎さんが入ってきた。「そんな急用なの?」と聞くと、いよいよ雑誌をスタートするけど、どっちへいこうかって話。その頃、選択肢は2つ。西海岸か、ロンドンか。「ここまで話が進んでいるんだけど、どう思う?」と僕の意見を聞いてきた。だから僕は言いました。「アメリカしかないと思う」と。

サンタモニカからマンハッタンビーチ、レドンドビーチ。あの辺を歩くだけで本が一冊できる。もっと知的な要素が欲しければバークレーへ行けばいい。ナパバレーもあるし、サンタクルズもある。そのことを話しているときに出てきたのが「ポロシャツ」の話なんです。西海岸のキャンパスへ行くと、学生たちがみんな短パンに〈ラコステ〉のポロシャツ、裸足にスニーカーという出で立ち。それがとても新鮮に見えたんです。日本では年配者のゴルフ服だったポロシャツをアメリカの若者は自由に着ていた。それで方針が決まりました。「じゃあ、西海岸で行こう」と。そこから『POPEYE』が始まるんです。

Q3. あなたのスタイルに最初に影響を与えたものはなんですか?

中学生の頃は日本にはおしゃれな街なんてなかった。ただ、東京より横浜の方が洒落ているっていう人もいた。でも、「いや、横須賀の方がもっといいじゃないか」っていう人もいた。横須賀はモノを持っていた。たとえば「横須賀ジャンパー」――いわゆるスカジャン。あれは最初、本当に横須賀にしかなかった。横須賀のドブ板通りみたいな場所は、他にはなかったんですよ。福生にもない。

——なぜ横須賀なんですか?

理由は簡単で、国道16号線です。当時は「日米行政協定道路」って言われていて、アメリカの基地を全部つないでいる道路があった。埼玉のジョンソン基地(今の入間基地)から福生の横田基地、厚木基地、そして横須賀まで。もし有事となったら、全部16号線を通って横須賀に集まる。だからあの道路は、アメリカにとってものすごく重要だったんです。16号線沿いにはアメリカ兵がたくさんいて、今思えば普通の若い兵隊なんだけど、当時の日本から見ればとにかくアメリカだった。彼らは普段からジーパンを履いていた。

Q4. あなたのスタイルに欠かせないシャツは?

僕は〈ブルックス・ブラザーズ〉のボタンダウンにはいかなかった。あれはトラッドであって、アイビーじゃない。日本では〈VAN〉の影響で本家みたいに言われたけど、本当のアイビーは〈J.PRESS〉だと思う。ハーバード大学の入口のすぐ裏にハーバード店があって、ロールやボタン、ステッチの入り方も違う。当時は〈JUN〉も面白かった。〈JUN〉はヨーロッパ系だけど、きちんとアイビーもやっていた。僕はこっそり買ってました(笑)。

それから厚木や福生の米軍基地の黒人兵たちが、競うようにやっていた「エクストリーム・アイビー」も好きだったな。僕らはそれを見るために新宿に通って、友達のカメラマンは彼らばかり撮っていた。ベトナム戦争の最中で、急に「あの人いないね」と言うと「死んだよ」と返ってくる時代。それでも彼らは新宿のジャズ喫茶に現れて、思い切りおしゃれをしていた。着るものとジャズが結びついていた、あの頃ならではの風景でした。

Q5. あなたのスタイルに欠かせないTシャツは?

もう40年近く前の話ですが、山と渓谷誌周辺の人がやっていた「ダイモンクライミングクラブ」というのがあって、そこで僕がデザインしたTシャツは特別な1枚です。「ダイモン」というのは、浜松町の大門のことです。

Q6. あなたのスタイルに欠かせないスウェットは?

昔、スウェットをパジャマとして着てました。あとスウェットじゃないけど、長袖ならラグビージャージかな。

Q7. あなたのスタイルに欠かせないアウターは?

ダウンベストはいろいろ着てました。日本に最初に入手して帰ってきた時は、羽田でわざわざ着てから飛行機を降りたんですよ、ちょっと暑かったけど(笑)。誰も知らなくて「それ何ですか?」ってよく言われた。最初の一枚は、たぶん〈Alpine Designs〉かな。今でもそれは持っています。

Q8. あなたのスタイルに欠かせないジーンズは?

ジーンズは決まって〈Levi’s〉で型番は忘れた。なくなったら困ると思って、同じ形を3本買ってあります。

Q9. あなたのスタイルに欠かせない靴は?

日本で「ナイキ」を雑誌に書いたのは僕が最初だと思う。〈ナイキ〉がまだ日本で作っていた頃で、ナイキ店を取材したときに「日本で作っているのにアメリカでしか買えないなんて変ですね」って店の人に言ったら、「いや、物っていうのはそういうもんですよ」って言われたのを覚えています。そういえばそうだよね、ってあとで思ったけど(笑)。僕が『POPEYE』の仕事をしていた頃は靴はスニーカーかチャッカーブーツでした。僕が一番好きなのは神田の「平和堂靴店」のチャッカーブーツ。もうお店がなくなって買えませんけどね。

Q10. あなたのスタイルに欠かせないバッグは?

男ってショルダーバッグは似合わないでしょ。でも例外があって、フィッシングバッグとハンティングバッグだけは似合う。あれは男の世界の道具だから。昔は〈L.L.Bean〉とか、英国の〈ハーディ〉とか使っていたけど、いま使っているのは国産のどこのブランドかも分からない弾入れ型。もう20年くらい使ってる。

Q11. あなたのスタイルに欠かせないスーツは?

若い頃はアイビーの時代でスーツしか着なかったから、外出するときはいつもネクタイでした。蝶ネクタイも好きだったな。当時、ニューヨークの44丁目あたりはトラッドの本場で、DDBとか、BBDOとか広告代理店の人たちが洒落ていた。スーツに〈L.L.Bean〉のブーツやバッグをあわせるようなプレッピーがいたのを思い出します。

Q12. あなたのスタイルに欠かせない靴下は?

靴下は白、または黒。柄物は履かないですね。

Q13. シティボーイにおすすめしたい「時計」は?

チープなものがいいと思う。”チープカシオ”とか。

Q14. チープなものがいいと思う。”チープカシオ”とか。

いま一番好きな車はマツダの「ロードスター」ですね。僕のは一つ前の型で21年型。現行モデルは少しライトの形が変わったみたいです。

最初に自分の車を持ったのは23歳のとき。無理してお金を集めてやっと買った1954年型の「フィアット500」。チェンクエチェントだけどフロントエンジンなんですよ。かなり古い車でガタガタでしたけどね。4年くらい乗ったかな。フィアットは戦闘機を作っていた会社でしょう。戦争に負けて、「その材料で乗用車を作ろう」としてできた初期のモデルの一つだったらしい。だからエンジンもアルミ。オイルゲージには「OLIO」、水温計には「ACQUA」と書いてあった。しかも右ハンドルで、イギリス向けの仕様。それが何かの間違いで日本に来た。当時はまだ「フィアット」の代理店もなく、日本ではほとんど見ない車でした。

Q15. 雨の日、あなたのスタイルで欠かせないものは?

小さくなる〈モンベル〉の登山用の折りたたみ傘かな。

Q16. 服が似合う人、似合わない人の違いはどこにあると思いますか?

西洋人を見て思うんだけど、やっぱり体型が違うんですよね。日本人と違って尻が大きくて肩の後ろに肉がついている。日本の俳優でそれに近かったのが三國連太郎。あの人は純粋な日本人だと思うけど体型が西洋人型だった。だから洋服が似合うんですよ。洋服ってね、背が高いだけじゃダメなんです。体の後ろ側に筋肉がついてないと着れない。足が短くても、顔が西洋風でなくても、そういう体型の人は洋服が似合う。

Q17. あなたが好きなスポーツは?

ラグビーですね。

Q18. あなたに影響を与えた音楽はなんですか?

僕は高校でハワイアンをやっていたんです。美術部の部室でもケイコしていた。高校を出た頃になると今度はモダンジャズがいいなと思い始めた。1953年頃ですね。それまでのジャズはスイングジャズでした。それが戦後のアメリカでモダンジャズに変わっていく。チャーリー・パーカーが出てきて、マイルス・デイヴィスもまだ20歳くらい。あの頃にジャズが一気にビーバップからモダンになった。そしてそのモダンジャズの始まりは西海岸にもあった。ジェリー・マリガン、リー・コニッツ、スタン・ゲッツ。そういう白人たちのジャズが好きでした。当時、新宿なんかで「ウエストコーストジャズが好きだ」なんて言うと、「白人のジャズがいいなんてバカか」って、怒鳴られそうな雰囲気でしたけどね(笑)。でも僕はずっと西海岸志向。だから最初にアメリカに行く時も、西海岸に行けるといいなと思っていました。

Q19. あなたが好きなラジオは?

荻上チキの『Session』かな。ラジオは好きですね。

Q20. あなたが好きなYOUTUBEやポッドキャストは?

先崎彰容さんっていう学者さんがいて、その人の番組は好きで観ますね。あと、高橋弘樹さんの『ReHacQ』も観てます。

Q21. あなたのライフスタイルに影響を与えた映画はありますか?

僕らが影響を受けたのは映画じゃなくて、街ですね。昔からずっと、そうです。

Q22. あなたの部屋のお気に入りの家具は?

藤の椅子って好きなんだよね。「ゆるい椅子」でしょう。全体がミシミシいっていて、自分の姿勢に合わせて形が変わるようなところがある。「あなたにあわせてどうにでもなりますよ」って言われている気がしていいんです。

Q23. あなたの部屋のお気に入りのモノは?

雪の上を歩く「かんじき」ですね。形が好きです。自分で使っていたものだから、「これを履いて歩いたな」と思いながら眺めています。

Q24. あなたの家で飼っている、または飼っていた動物は?

10年ぐらい前まではいろいろ飼っていました。一番多い時で犬3頭、猫5匹。

Q25. あなたの家でお気に入りの植物はなんですか?

草花にはまったく興味がないから、「食べられるものを作ろう」と、プランターで簡単に作れるものはいろいろやりました。柚子も育てたことあるけど。「桃栗三年、柿八年、梨の馬鹿野郎十五年、柚子の大馬鹿三十年」って言うでしょ?まったく実がならなかったね。

Q26. 若いうちに経験しておいた方がいいこと、行っておくといい場所はありますか?

うーん、ちょっと答えになってないかもしれないけど、ひとつ言うならね――男は30まで結婚しない方がいい。理想は35歳くらいだと思う。僕は早すぎたんです。話すと、たぶん一晩かかります(笑)。女性もいろんな経験をしてからの方がいいと思う。

Q27. 普段の生活でルーティン(習慣)はありますか?

90歳過ぎた人のルーティンなんて聞かないでください(笑)

Q28. 好きな公園を教えてください。

駒沢公園ですね。子どもが小さい頃からずっと使っているから。昔、『街をさわる』(『POPEYE』でやっていたイラスト連載)で駒沢公園を描いたこともあります。ここは昔とあまり変わってないですよ。元々は1964年のオリンピックのときに整備された場所で、その前は東急のゴルフ場でした。プロ野球チームをやってた球場もあったんですよ。ホームチームの名前もいろいろ変わって、東急セネタースとか、東急フライヤーズとか。でも「セネタース」って上院議員たちって意味だよね? ワシントンならわかかるけど、「東急の上院議員たち」って何だよって当時思ってましたけど(笑)。

Q29. 好きな美術館や博物館はありますか?

今思い出したのは、山形県の鶴岡にある致道博物館。あそこは山形の民具、つまり民衆が生活で使っていた道具の収集がすごいんですよ。学芸員のレベルもすごい。僕は民衆の生活道具に凝っていた時期があって、いわば民具オタクだったんですね。だから何度も通いました。日本中であそこが一番立派だと思う。何度も行ったから学芸員の人に「まだ調べてるんですか?」「オタクですね」なんて言われたりした(笑)。

Q30. あなたがよく行くお気に入りの旅先はどこですか?

出羽三山ですね。羽黒山、湯殿山、月山の三つ。月山は信仰の山でもあるけど、夏でもスキーができる山だから、山スキーで何度も行きました。宗教的な意味では、羽黒山と湯殿山がすごい。羽黒山は修験道の中心みたいな場所で、日本の修験道のエッセンスが全部詰まっているところだと思います。できれば車じゃなくて石段を歩いて登るといい。登りきると何かわかった気がすると思います。

Q31. 好きな本屋はありますか?

昔、近所に唐沢書店っていう古本屋さんがあったんですよ。本当に小さい古本屋。僕みたいな本を書く仕事をしていると、どうしても本がたまるでしょう。だから3〜4年に一度くらい、まとめて処分するんです。古本屋の人ってすごい量の本を一本の紐で縛るけど、あれは職人芸ですね。店主が亡くなってしまい、書店もなくなってしまいました。

Q32. お気に入りの飲食店を教えてください。

地元に最高だと思っていた店が2軒ありました。1つは寿司屋で、もう1つはうなぎ屋。割烹出身の人で優れた職人だった。寿司屋の親父さんも同じで寿司職人として優れた人だった。でもその2軒とも、ほぼ同じ時期に閉店してしまいました。

Q33. お気に入りのバーを教えてください。

いまは行かないですね。居酒屋が好きです。その土地のものを率直に食べられるのは居酒屋だから。地元の人が普段食べているものを食べたいです。

Q34. 東京であなたが好きな街とその理由を教えてください。

僕が生まれたところ、旧東京市日本橋区米沢町。今の住所でいうと中央区東日本橋二丁目あたりですね。江戸の町は藩邸の名前が由来になっていることが多いと思うんだけど、米沢町はそうじゃなくて、どうも最初に米蔵があったらしいんです。いわゆる扶持米を保管する蔵が必要でしょう? その米蔵が火事で焼けてしまって蔵は別の場所へ移され、その跡地が町家になり、米が沢山あった場所だったから米沢町という名前になったらしい。ちょうど本を書いているので調べてたんですけどね。その「旧日本橋区米沢町」が一番愛着のある場所ですね。今はもうその名前は残っていないんですけど。

Q35. あなたが「東京らしさ」を感じるのはどのような時ですか?

東京らしさね……。今は、もうなくなっちゃったよね。兄ともよく話すんだけど、「俺たちの生まれた東京はロストシティだよね」って。本当になくなっちゃった、完全に。「オリジナル・ロストシティ・ランブラーズ」って感じです(笑)。

Q36. 小腹を満たしたいときに何を作りますか?

料理は結構好きです。小腹が空いたときに、スパゲティは簡単でいいですね。茹でて、オリーブオイルと塩で味をつけて、パルメザンチーズをかける。それでおしまい。日本で言えばお茶漬けみたいなものだけど、これはうまいんです。

ちゃんと「やるぞ」と思って作るのはカレーですね。玉ねぎのカレーです。2人分なら、中くらいの玉ねぎを3個。ルーは使いません。玉ねぎでとろみを出す。ジャガイモは好きだから大きいのを1個、ニンジンは中くらいを1本。肉はスーパーですき焼き用の牛肉を2人分。まずそれを鍋で炒める。玉ねぎも一緒に炒めて、肉に軽く焦げ目がつくくらいまで。そこで炒めるのをやめて、水を入れて煮立てます。玉ねぎは煮ているうちに、形はほとんどなくなって繊維だけになる。それで火を止めてしばらく置きます。煮えている最中にカレーを入れちゃいけませんよ。少し落ち着いたら、ここでルーではなく、「カレーの壺」という瓶入りのペーストを使います。本場のインドカレーのスパイス配合に近いです、しかも添加物がほとんど入っていない。スーパーにも置いてあります。

Q37. コーヒーやお茶などにこだわりはありますか?

コーヒーもお茶も、あまり飲まないですね。今、「飲みたいな」と思って飲むのはワインクーラーです。氷を入れて、そこにワインを注ぐ。昔、フランスのブルゴーニュに旅したことがあって。田舎町に行くと、地元のおじさんたちはみんなワインクーラーなんですよ。普通のコップに氷を入れてワインを注ぐ。それを見て、「これこそ地元の飲み方だな」と思いました。

その時「ロマネ・コンティ」の畑も見に行きました。建物の門は閉まっていたので外から見ただけですが、畑自体はそんなに広くなくて、「こんなところで作っているのか」と思って。面白かったのは、そこだけ土の色が違うんですよ。畑の色が黒い。「これは何かあるな」と思いましたね。

Q38. あなたの普段の髪の手入れ方法について教えてください。

髪は丸刈りで自分でやっています。もう30年……いや、40年近くかな。愛用品は〈フィリップス〉の電気バリカンと〈YANAGIYA〉のヘアトニック。

Q39. あなたが愛用しているペンとノートは?

スケッチブックは、今でも「月光荘」の小さい方を使っています。ペンはなんでもいいんですが、僕は〈ペンテル〉の黒のサインペンを使っています。山でスケッチするときは、それだけ持って行きます。色は使いません。色は帰ってきてから、自分で自由につけるんです。邪魔なもの取っちゃうし、気に入らないものは消してしまう。絵を山に持って行って、「全然違うじゃないですか」と言われても、違うもんなんですよ。

Q40. 好きな移動手段はなんですか?

自転車ですね。自転車の魅力は、周りのものがよく見えること。止まりたいと思ったら、すぐ止まれる。面白そうな店があっても、車だと止まれない。でも自転車なら止まれるし、店の人と話したりもできる。そういう意味では、自転車のほうが理想的なんですよ。

Q41. あなた旅のスタイルについて教えてください。

日本の端から端まで、海岸線を車で全部走る、ということを始めたんです。車の運転は苦にならないから。まず山陰をやって、それから丹後半島。福井の、原発がたくさんあるあたりも回りました。そのあと四国を一周。

東北はもともと好きで、前から何度も行っているんですが、北東北の三県は海岸線を全部回りました。去年は北海道を一周しようと思って、それでついに海岸線を完全制覇。知床半島は先まで車で行けないんですよ。そこだけ勘弁してもらって。あとは全部クリア。

——誰かと一緒に行くんですか?

全部、一人です。もうこの20年ぐらい、ずっと一人。一人じゃないと途中で必ずまずくなるんですよ。どんなに親しい人でも。僕は自分のやり方でやりたいから。旅は、一人が一番いいんです。うちの玄関から車で出て、北海道を一周して、また玄関まで車で帰ってきました。

Q42. シティボーイ、シティガールにおすすめの低山ハイクを教えてください。

最近は、若い人たちもまた山に登り始めているみたいですね。僕は『日本百低山』という低い山の本を書いていて、『日本百低山』と『続・日本百低山』で、それぞれ100座ずつ。全部で200低山を選びました。おすすめの山はどこですか、とよく聞かれるんですけど、「富士が見える山に行ってください」と言うんです。低山は何か一つ見どころがあるところがいい。僕の『百低山』に出てくる山も、みんな何か一つ理由がある山ですね。

Q43. よく使う絵文字があれば教えてください。

返事するときに、何とも言いようがないと「笑ってる顔」とか入れちゃうでしょ? 向こうで勝手に解釈してくれるから、こんな便利なものはないんだけど。でも、あればっかり使うのは良くないね。これをやってると、日本語がなくなるなって思って。やっぱり、ちゃんと言葉で言うようにしています。

Q44. 知人宅や友達の家に行くとき、定番の手土産は?

正月に兄の家へ行くんですけど、そのとき決まっているのは碑文谷の「イオンスタイル」で売っている「中央軒煎餅」のあられの詰め合わせ。

——逆に、もらって嬉しかったのはあります?

もらったので良かったのは……そういえば信州の「くるみのコンサート」って知ってる? 人気で買えない幻のお菓子。僕も食べたことないんです。でも、この間もらったんですよ、それっぽいのを鎌倉の人から。「クルミッ子」っていうので、これは似てるのでは? と思った。

Q45. 週末は何をして過ごすことが多いですか?

サンデー毎日ですから「週末」ってないよね。僕にはなくても、周りの人には「週末」があるから、それで気がつくぐらいのものですよ。あとは、山梨県の白州にある自分の山小屋に行くとき。中央高速が混むから、週末は避ける。それぐらいですね。

Q46. つい集めてしまうものは?

小さな漁船の模型。外国のものばかり。特にアメリカの田舎の漁港で売っている、ちょっと出来損ないみたいな木の模型。ケープコッドとかハイアニス・ポート、マーサズ・ヴィニヤード島、ナンタケット島なんかの港町へ行くと、どこにでもお土産屋があって、簡単な木彫りの船を売っている。丸めた網がついていたり、小さな魚を接着剤で貼り付けてあったり。日本人からしたら「なんだこんなものの」って感じだけど、味があって面白い。

Q47. 最近始めて良かったこと、またはやめて良かったことは?

うーん、とくにないです。

Q48. 最近の趣味は?

俳句を作っています。もう10年くらい。自由律もやる。俳句には達成感があるんですよ。何かあったとき、メモに五七五で書いたりする。インスタで知り合いからメッセージが来ると、相手の言葉を五七五にして返したりして、「またやられた」とか「俳句オタクはやりにくい」と言われます。

Q49. シティボーイとはどんな人のことだと思いますか?

「シティボーイ」ってなんか軽薄な響きがあるでしょう? 僕は古い人間で、寄席や歌舞伎で育ったのでね。家が日本橋区米沢町で、高校の頃は明治座や末広の前を通って通学していた。寄席に通い詰めて、席亭に「お前どこの子だ」と言われて、しまいには裏から入っていいよと言われて「木戸銭御免」になった。もちろん映画も観ていました。僕らの世代の中心にあったのはフランス映画。ヌーベルバーグが来たときは文化が変わった感じがしたね

——そういう人のことを本当のシティボーイと呼ぶのかと思っていましたよ。

僕は好きじゃないね。

Q50. あなたが「シティボーイ」だと思う人は?

あの頃で言えば、ポパイ編集部にいた若い連中だね。編集部には大学出て社員になったばかりの人たちがいた。22、23歳くらい。その人たちが一番楽しそうにしていた。だから、あの頃の彼らがシティーボーイだったんじゃないかなと思うな。

2026年7月22日

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