カルチャー

バーン・マイ・パッタナー

文・福冨渉(全4回)

2022年11月10日

photo & text: Sho Fukutomi
edit: Yu Kokubu

こういう仕事をしていると(タイ語の翻訳などをしています)、「タイが好きなんですね」と言われることがすごくよくある。しかし、タイのことならなんでも好きかと言うと、そういうわけでもない。

もちろんタイのことならできるだけなんでも興味を持つようにはしているし、ほとんどは楽しいことばかりだ。ただ親しい人間関係とおんなじようなもので、好きな部分もあれば嫌いな部分もあるし、そういう感情がグラデーションのように遷移しているというのがリアルなところだろうか。

あとやっぱり、仕事にかかわってくることが多い、というのもある。自分の名前で責任を取らなきゃいけないとなると、単に好きだの嫌いだの(楽しいだの)言ってられないときもある。

なんだけど、とりあえずタイのコーヒーは好きだ。ぼくの場合はタイの料理とか、お菓子とか、コーヒーとかが仕事に大きくかかわることはあんまりなく、ほかの方々のお仕事を身勝手に消費するだけのことが多い。それでのんきに「おいしー」とか言っている。そもそも昔からコーヒーが好きだったので、タイのコーヒーも好きになった。

チェンマイ発の有名コーヒー店、AKHA AMA COFFEEのドリップバッグ

2018年9月、タイ・バンコク。2週間の学生引率の最終日。「自由行動」の名の下に大学生たちを繁華街サイアムに放ったぼくは、目星をつけていたロースタリー、Phil Coffeeに向かおうとしていた(2週間の最後にようやく自分の時間が持てたのだ)。

すると、通りかかったある寺院の境内で、中年の女性がマスコミとおぼしきひとたちに囲まれているのを目にした。女性はカメラの前でまっすぐ立って、なにかを話している。黒いTシャツには “FIGHT FOR JUSTICE” の文字。

気になって話を聞いているうちに、彼女がパヤオ・アッカハートさんであることがわかる。2010年5月に、この寺院、ワット・パトゥムワナーラームで政府の治安部隊のスナイパーに射殺された、当時25歳の看護師カモンケート・アッカハートさんの母親だ。

取材陣の前で話すパヤオさん。本人が広く一般に参加を呼びかけていた行事のため、写真を掲載する

日本では「赤シャツ」とか「赤服」という名前で報道された大規模な市民デモは、政府の制圧作戦を受けて、2010年5月19日にデモの終了を宣言した。だが実弾射撃を続ける治安部隊とデモ隊の一部の衝突は続き、混乱を避けようとした人々がこの寺院に避難した。なにせ寺院は「殺生禁断の聖域」だ。カモンケートさんは、境内で負傷者の手当てをしていた。

しかしスナイパーたちは、この寺院に逃げ込んだ人々にも容赦なく銃口を向けた。真上を走る高架鉄道BTSの線路上から狙撃されて、この寺院だけで、カモンケートさんを含む6人が亡くなった。彼女は頭と上半身に11発の弾丸を撃ち込まれた。超有名&大型デパート、サイアム・パラゴンのすぐ隣の寺院。2010年だっていまだって、ここで無辜の血が流れたことなんて、ほとんどのひとが知らないまま/気にしないままに、観光やショッピングを楽しんでいる。

母親のパヤオさんは、捜査が遅々として進まずに解明されないままの、娘やほかの人々の死の真実を明らかにしたいと、さまざまな活動を続けている。この日は娘が殺害された場所に花をたむけたあと、日本を含む各国の大使館を歩いて回るとのことだった。

白いバラをたむけるパヤオさん

寺院を離れたぼくは、ぼんやりしたまま、BTSに乗って数駅先のコーヒー店に向かった。2階建て一軒家の1階がカフェスペースになっている。店内の客はまばらだ。

チェンラーイ県バーン・マイ・パッタナー産のコーヒーを注文したぼくは、窓際の席に座って、さっき見たものを思い返していた。晴れてこそいるがすごい湿気に空気が重たくなっている日で、天気雨が降り出している。

こんなふうに暑くて重たい空気の中、寺院に逃げ込んで、見えないところから撃たれるなんて、どれだけ恐かっただろう。と、ふと考えたら、なぜか涙が止まらなくなってしまった。声こそ出さなかったが、けっこう久々の大泣きという感じで、平日昼間ののんびりした時間におしゃれカフェで号泣する30代短パン男の姿というのは、割と異様なものがある。

そんなところにコーヒーが運ばれてきて(店員さんに顔を見られたかどうかは覚えていない)、とりあえず何口かすする。タイ産コーヒーに比較的多い、華やかでフルーティーな味というよりも、もう少しもったりした、ナッツとかサトウキビみたいなフレーバーで、今日の気候にぴったりだ。

それで、不思議と落ち着けた。あっさりと飲み干して、お土産に同じ豆を200グラム買う。店を出るころには雨はもう上がっていて、そのあとなんやかんやあって(なにをしたかはもう覚えていない)、学生たちと合流し、その日の深夜便で、当時住んでいた鹿児島に帰った。

Phil Coffeeで頼んだバーン・マイ・パッタナー(泣いているのにしっかり写真を撮る余裕はあったらしい)

とまあ、こんなことがあるので、気楽に「タイが好き」とも言えなかったりする。

とはいえこんなことがあるので、タイのコーヒーは、のんきに、好きだと言っていたりもする。

プロフィール

福冨渉

ふくとみ・しょう|1986年、東京都生まれ。タイ文学研究者、タイ語翻訳・通訳者。青山学院大学、神田外語大学で非常勤講師。著書に『タイ現代文学覚書』(風響社)、訳書にプラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』(ゲンロン)、ウティット・ヘーマムーン『プラータナー』(河出書房新社)など。

Official Website
https://www.shofukutomi.info/