FOOD

OH! MY MOTHER オフクロの味。/松重 豊

給食の筑前煮と母が作るがめ煮の違いについて。

2021.05.29(Sat)

illustration: Michiko Otsuka
edit: Nozomi Hasegawa
2021年6月号 890号初出

おいしい料理はたくさん知ったし、自分で作るようにもなった。
それでも、思い出の中のあの味だけは、やっぱり特別なんだよな。

 小学校に入学して最も嬉しかったことは何か。僕は給食だと即答する。今まで母親の作る料理が全てだと思って過ごしてきた約5年。物心ついてからだから5年弱か。今のような外食環境が整っていない昭和40年代の地方都市に育った僕にとって、それまでは食材も味付けも火加減すらも母親の作るものが世界のすべてだった。ところがそこに革命が起きた。クリームシチューやナポリタン、鯨の竜田揚げやら鰺の南蛮漬け。教室に貼られた献立表に胸を躍らせた。なにより格別に美味かった。ところがそう思っているのは僕だけらしいと気付くのにそう時間はかからなかった。なんと同級生の殆どがこの格別に美味い給食をディスっているではないか。中には涙すら浮かべ「残してはいけませんか」と教師に訴えかける哀れな女子もいる。何かがおかしい、俺の味覚か。そりゃ中には脱脂粉乳やコッペパンのようなアウトに近い食品もある。けどだいたい旨いよ。嫌いだったら喰ってやるよ。と言って涙目の女子からもらい受ける。なぁ彼女、何がそんなにお気に召さないんだい言ってごらん。「だってママの作ったものと違うんだもの」他の同級生にも問うてみると同じような答えが返ってきた。繰り返して言うが僕が育ったのは地方で田園調布や芦屋の話では無い。そんなに母親の作ったものが美味しかったのか。己を恥じた。母親の作る食べ物の美味さに気付かずに過ごした無為な人生を心底悔いた。これからは毎日の献立に精一杯の感謝の言葉を添えていこうじゃないか。そう思って帰宅した日の夕食は「胡麻鯖」だった。鯖の刺身をごま和えのヅケにして御飯に載せて茶をかけるのだ。翌日の朝食は「おきうと」だ。海藻を加工したところてん状のものに鰹節と醤油をかけたものだ。隣で父親が旨そうに喰っている。今考えると涎がでそうなメニューだが、小学校低学年の子に分かるはずもない。父親の好きな献立で育った子は、実は給食に感動するということをここにお伝えしたい。

 そんな母親の料理の中でも、父親と小学生の僕の好みが合致したものがある。「がめ煮」である。北部九州の郷土料理で筑前煮とも言う。年中作るんだがお正月には尚一層気合いの入ったものを作る。御年86になる母親は郷里を離れて僕と二世帯で暮らしている。お互い干渉しない食生活を送っているのだが、正月だけは大量に「がめ煮」を作る。死んだ父親好みの甘辛い味付けで大量の大根も入っている。これが頗る旨いのだ。

プロフィール

松重 豊

まつしげ・ゆたか|俳優。1963年、福岡県出身。昨年、初の著書となる小説&エッセイ集『空洞のなかみ』を発表。FMヨコハマにてラジオ『深夜の音楽食堂』のパーソナリティを務めるなど、活動は多岐にわたる。
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